高杉晋作の死因。早すぎた最期に現代人は何を思う。

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「死ぬ気でやれ」はただの根性論か?──高杉晋作、結核に倒れた享年27歳から見える“命の燃やし方”

高杉晋作
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――「死ぬ気でやれ」「命をかけろ」…ビジネスやスポーツで繰り返されるこの言葉。だが、実際に命を削りながら時代を変えた男がいたとしたら――その言葉の意味は、まったく違って響くはずだ。

幕末の志士・高杉晋作。維新史の中でも、破天荒で豪胆、かつ型破りな行動で知られる彼は、1867年、長州・下関の地で結核に倒れた。享年わずか27歳。現代ならようやく社会で一人前と認められる年齢で、彼はすでに政敵を倒し、軍を動かし、時代を揺さぶる存在になっていた。

■ “死ぬ気でやった”というより“死にかけながら動いた”

高杉晋作
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高杉晋作の死因は「喀血病」――今でいう肺結核。戦場での激務、過労、そして当時の医療水準では治療はほぼ不可能。彼は病と闘いながらも、最期のその日まで行動を止めなかった。辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」は、死の直前、かすれた声で紡いだものだという。

歴史社会学者の久我島文人氏はこのように語る。

「高杉は『死ぬ気』というよりも、『死ぬことを恐れずに進む覚悟』を持っていました。死を覚悟した者は強いですが、彼の場合は『もう死ぬけど、今しかない』という“余命の使い方”が異常だった。あれは生の最前線にいた男の哲学です」

■「死ぬ気」の軽さに慣れすぎた令和の感覚

ネットやビジネス書では、「死ぬ気でやれば何でもできる」「限界を超えろ」といった文言が定番化している。しかし、現実には“燃え尽き症候群”や“ブラック企業体験談”が後を絶たず、どこか空々しい掛け声に聞こえる。

そんな中、あらためて高杉晋作の27年の“濃度”が話題になっている。

歴史系サイトの運営者である秋吉怜さん(29)はこう語る。

「昔、『高杉晋作の27歳』シリーズを書いたんですが、読者から『この人ほんとに27歳!?』『自分の人生薄すぎて泣ける』ってコメントが殺到しました。今の“死ぬ気”って、努力の美学じゃなくて、自己啓発のテンプレなんですよね。でも晋作は、本当に“明日死ぬ”前提で動いてた。重みが違う」

■ 彼の“死に様”が突きつける問い

晋作が死の床で遺した「おもしろきこともなき世を おもしろく」という言葉は、ただのポジティブ思考ではない。「自分がこの世を面白くしなければ、つまらないまま死ぬ」という、命の使い切り方への強烈なメッセージである。

山口県下関市・東行庵にある彼の墓を訪れた会社員の三浦涼介さん(35)は、墓前に手を合わせながらこうつぶやいた。

「毎日“疲れた”って言ってばっかだったけど、この人は咳き込んで吐血しながらも、日本を動かしてたんだよなって思ったら……。一発奮起っていうか、背筋が伸びましたよね。俺、たぶん晋作の半分も生きてない」

■ 「死ぬ気でやる」じゃなく、「生き切る覚悟」を持て

高杉晋作
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では、私たちが“死ぬ気”で頑張る必要があるのか。答えは、否だ。
高杉晋作が私たちに投げかけているのは、「命を削ってでもやれ」という乱暴な教訓ではない。
それよりも、「限られた時間のなかで、どこまで自分を出し切れるか」――という、もっと切実で現実的な問いなのだ。

令和のいま、「死ぬ気でやる」という言葉の軽さに疑問を持ったときこそ、27歳でこの世を去った高杉晋作の言葉と生き様に、少し耳を傾けてみる価値がある。

死にそうになってもなお、「面白くする」ことをやめなかった男の姿に、私たちは“生き抜くとは何か”を学ばされているのかもしれない。

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