【転生JKが語る!】高杉晋作だった私が、自分の人生をざっくり解説してみた件

高杉晋作

どうもこんにちは。
現代に転生した元・幕末の志士、高杉晋作です(※今は都内の高校に通うJKやってます)。

え、なんで高杉晋作が女子高生になってるのかって?
うん、知らん。気がついたら制服着て「ホームルーム」受けてたよね。
とりあえず「歴史の授業で自分の名前が出てくる不思議」を抱えつつ、今回はざっくり自分の人生を語っていこうと思います。


●下級武士の星、爆誕(1839年)

生まれは長州藩(いまの山口県)。下級武士の家だったんだけど、わりと恵まれた環境で育ったのよ。
幼少期から読書家で、剣術よりも漢詩が好きなインテリ系男子。てへ。

でも、ある日こんなこと思っちゃったんだよね。

「このままじゃ、日本、ヤバくね?」

そう、黒船ショックとかペリー来航とか、幕末ってマジでカオス。


●松下村塾でヒーロー養成(1857年)

で、出会っちゃうのよ、あの人に。

吉田松陰先生。
はい、来ました人生のターニングポイント。

松下村塾で「国の未来は君たち若者にかかってる!」みたいな熱血スパルタ教育受けて、完全に開眼。
「日本を変えねば!」と目覚めた私は、藩の中でも頭角を現していきます。


●幕府?ナメてんの?(1863年)

長州藩の志士たちと「尊王攘夷(そんのうじょうい)」運動に突入。
とりあえず下関で外国船に砲撃ぶちかましたりしてたけど、実は内心では、

「ガチで戦争しても勝てねぇな…」

と冷静に判断。そこから一転、今度は「開国・武力倒幕」へとシフトチェンジ。
手のひら返しすぎ?でもこれが現実的戦略ってもんよ。


●奇兵隊つくってみた(1863年)

「武士だけで戦争してる時代は終わりっしょ」ってことで、農民・町人・浪人もOKな私設軍隊『奇兵隊』を結成。

このとき私は24歳。
JKの今の私が言うのもなんだけど、24歳で民兵作るって、だいぶぶっ飛んでたよね。

ちなみにこれ、当時の長州藩の中でもめちゃくちゃ異端扱いされたから。
けど最終的にこれが倒幕の原動力になったってんだから、人生分かんないもんだよね。


●幕府に喧嘩売ったら藩内クーデター勃発(1864年)

京都で池田屋事件とか禁門の変とかゴタゴタあって、長州が幕府に目ぇつけられちゃってさ。
そしたら今度は藩内の保守派に、

「お前のせいでヤバくなったやん!責任取れや!」

って追われて、私は一時亡命。

萩で病床に伏しながらも、「世直しは諦めない」と誓ったあの夜、マジで泣いたよ。いや、今でも思い出すと泣ける。


●いよいよクライマックス。第二次長州戦争(1866年)

ようやく復帰して、木戸孝允らと手を組んで倒幕の準備。
薩摩と長州が同盟(いわゆる「薩長同盟」)を組んで、幕府に立ち向かう体制ができたころ…

――病、発症。

はい、肺結核ですね。
奇兵隊を率いて未来を変えようとしたけど、病魔だけはどうにもならなかった。

1867年、27歳で人生終了。
まさか27で死ぬとはね。
しかも翌年、ほんとに幕府が滅ぶという。

「え?あと1年生きてたら時代が変わるとこ見れたのに?」って思ったよね、転生した今なら余計に。


●まとめ:人生、短し、革命せよJK。

というわけで、ざっくり私の幕末ライフを語ってみました。
政治的にはブレまくってたように見えるけど、根っこはずっと「日本をよくしたい」って信念だけだった。

今は女子高生として生きてるけど、いつだって志(こころざし)は持ち続けてる。
スマホと制服の時代でも、命を懸けて世界を変える奴はいる。
…たぶん、ね。

じゃ、また次の日本史の授業で会おうぜ。
教科書の中でな!


※当ブログ【歴史ファンの玄関:れふかん】は、本人に語らせるスタイルの歴史解説が持ち味となっております。

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