人取橋の戦い〈ひととりばしのたたかい〉(1585年) とは
- 天正13年(1585年)11月17日〜18日、福島県二本松市付近で発生
- 伊達政宗が家督相続からわずか1年後の大規模戦
- 相手は蘆名氏・佐竹氏・相馬氏ら奥州連合軍(3万以上)
- 伊達軍は約7,000の少数で防戦
- 初日は鉄砲と家臣団の奮戦で進撃を阻止
- 鬼庭綱元らが討死するも時間稼ぎに成功
- 2日目は大雪で戦闘中止、政宗は夜間に撤退
- 敗北戦ながら被害を抑え、後の反撃(摺上原の戦い)へつなぐ
以下、なんjのコメント
1: 風吹けば名無し
家督継いでいきなり大ピンチになるの草。
2: 風吹けば名無し
相手は蘆名氏+佐竹氏+相馬氏とかいう奥州連合軍。
3: 風吹けば名無し
伊達軍は7000、敵は3万超って時点で無理ゲーやろ。
4: 風吹けば名無し
しかも政宗まだ19歳やぞ。若すぎ。
5: 風吹けば名無し
開戦は1585年11月17日やな。
6: 風吹けば名無し
政宗は人取橋に布陣して徹底抗戦。
7: 風吹けば名無し
初日は鉄砲で敵の進撃を食い止めたって言われてる。
8: 風吹けば名無し
伊達成実や鬼庭綱元とか有能家臣が踏ん張ったのデカい。
9: 風吹けば名無し
鬼庭綱元は討死やけど時間稼ぎの功労者。
10: 風吹けば名無し
政宗本人も最前線に出て士気上げたとかカッコよすぎ。
11: 風吹けば名無し
2日目は雪で戦闘中止→これが伊達の命拾いになった。
12: 風吹けば名無し
天候がガチで戦況変える戦の典型例やな。
13: 風吹けば名無し
最終的には政宗が夜陰に乗じて撤退。
14: 風吹けば名無し
負け戦やけど被害少なく撤退成功したのは評価される。
15: 風吹けば名無し
この後、政宗は勢力立て直して摺上原でリベンジやからな。

16: 風吹けば名無し
人取橋って地名は今の福島県二本松市付近やで。
17: 風吹けば名無し
雪の中での撤退戦とか普通に命懸けや。
18: 風吹けば名無し
政宗が死んでたら伊達家はここで終わってた可能性ある。
19: 風吹けば名無し
家督相続直後にこれって試練デカすぎやろ。
20: 風吹けば名無し
一応蘆名側も損害出してるから完全勝利じゃないらしいな。
21: 風吹けば名無し
伊達軍は防御戦術うまかった説もある。
22: 風吹けば名無し
敵が大軍すぎて逆に指揮がうまくいかなかったんちゃうか。
23: 風吹けば名無し
雪が降らなかったら伊達終わってた説はガチ。
24: 風吹けば名無し
この戦い以降、政宗は外交と同盟戦略を強化したっていうしな。
25: 風吹けば名無し
戦国大名の生存術を学んだ初めての大戦やな。
26: 風吹けば名無し
若い時の苦戦が後の慎重な政宗を作ったんやろな。
27: 風吹けば名無し
逆境からのリカバリー力が異常。
28: 風吹けば名無し
「雪の伊達撤退戦」として講談で人気出たのもこの戦いや。
29: 風吹けば名無し
もし政宗が討ち取られてたら摺上原の戦いもなかった。
30: 風吹けば名無し
負けても伝説になるタイプの戦やったな。
31: 風吹けば名無し
なお政宗本人は人取橋の戦いを勝ちいくさの武勇伝として江戸時代になっても語っていた模様WWW
しかもその話が受け入れられて家光にも一目おかれて政宗がレジェンド化してるの笑うわ

32: 風吹けば名無し
圧倒的不利な状況で負けなかった政宗の実質勝ちやろこれ
天候とかの運もあるけど普通の武将じゃ政宗の真似はできんて

※なんJのコメントはときどき時代小説や時代劇や思い込みを史実と混同している場合があるから気をつけてね! 最後にクイズも用意しているよ!
