ポリス成立以前の古代ギリシャはどうなっていたの?
ポリス成立以前、紀元前1200年頃ギリシャ本土から秩序が失われていました。
具体的には、それ以前のミケーネ文明時代に繁栄していた王城はことごとく落城して廃墟と化していました。
そしてその後の400年間は『暗黒時代』と呼ばれる人口激減、文字文明の喪失、生活水準の低下といったまさに暗黒の時代に古代ギリシャ全土が突入します。
暗黒時代とは。
暗黒時代のことは文字文献が残っていないためわずかな遺跡調査ぐらいしか手がかりがありません。
そのため暗黒時代について確定的なことは以下の2点を除いてほとんど何もわかっていません。
・この時代に青銅器に代わって鉄器が普及し始めたこと。
・この時代にポリスが形成されていったこと。
そして暗黒時代が明けると、この『ポリス』が中心となる次の時代に移ります。
ポリス時代の始まりは?
紀元前八世紀、古代ギリシャ人は暗黒時代と別れを告げ、小王国分立とは異なる、まったく新しい形態の都市国家を生み出しました。
それが『ポリス』です。
しかし暗黒時代の文献が残されていないためポリスが成立した『事実』はわかっているのですが、その『過程』はいまだに謎に包まれたままです。
ポリス成立当初はポリス内のもっとも有力者が『王』の位についていたと考えられています。
しかしやがて王政は廃止され、各ポリスでは有力な貴族たちによる貴族政治が開始されました。
ポリスで貴族政が始まったこのころには文字が復活していました。
といってもかつて使用されていた線文字Bではなくアルファベットを利用したギリシャ文字です。
貴族が支配していたポリスの実態はこの文字できちんと残されています。
例えば民衆の暮らしについてです。
民衆の暮らし。
貴族政治の初期、ポリスでは民衆はどのような暮らしをしていたのでしょうか。
婚礼の行列、耕地の鋤き返し、ぶどうの房摘み、オリーブの房摘み、牛や羊の放牧などが記録されています。
またぶどう酒やオリーブ油の余剰分を使って海上交易を行っていたこともわかっています。
ポリスの人々は地中海を何度も往復していました。
また、農民自らが自分の船を持って操船し、地中海に繰り出していたと考えられています。
他には裁判をポリスの複数の長老たちが行っていたことがわかっています。
そしてその長老たちの中で一番良い判決を下した者がポリスから金塊を与えられる決まりになっていました。
その金塊を誰に授けるかはその場に立ち会っていた民衆が決めていたようです。
つまり、貴族ではないポリス市民でも、興味深いことに、間接的にポリスの裁判に関与していました。(*貴族政の時代なのに)
さらに、民衆たちは一方的に貴族に支配されるのではなく、民会などで貴族を批判する自由を持っていました。
それでも貴族が政治を独占。
とはいえ、そんな時代に貴族たちは結託して政治の重要な役職を独占していました。
貴族たちは、例えば船で交易する際も民衆より大きな船を所有していたと考えられており、また所有地も広く、ポリスに収めていた税金も多額だったと考えられています。
ポリス同士の戦争においても貴族の騎兵隊がその中心をになっていました。
ポリスを守る『戦士』の家柄であ、経済的にも優れていた貴族たちはこのように民衆より大きな力を持っていました。
貴族社会が揺らぐ!
古代ギリシャの各ポリスは、紀元前750年~前550年頃にかけて活発な植民活動を行います。
植民活動の結果としてポリスと植民市間の交易が発展します。
この時代に海上交易商人たちが力をつけ始めます。
この結果短期間で海上交易商人という経済的に『裕福な平民』の数が増えました
さらに盛んになった交易の影響により輸出用の商品(陶器、金属加工品など)を制作していた手工業者の中にも富を築く者たちが現れました。
これによりまた経済的に『裕福な平民』の数が増えました。
一部とはいえ、このような今までのポリスにはなかった平民層の経済力の伸長が経済面で貴族と民衆の差を縮めました。
経済面で貴族と平民の差が縮まったのなら、あとはポリスに貢献する『軍事力』という面でも平民が貴族に追いつけばどうなるでしょうか?
貴族が政治を独占している名分が、その地位が、急速に失われてゆきます。
重装歩兵の戦場での活躍。
紀元前8世紀後半~前7世紀に新たな武具がギリシャに普及します。
その新たな武具とは丈夫な『鎧』と『大型の盾』です。
それらの武具の登場より少し時代を遡ると、当時のギリシャでは武具は自弁するのが慣習で、貧しい平民は武具を持ちませんでした。
ポリスを守るために戦場に赴く者のほとんどは貴族たちでした。
戦闘では、軽装の革の鎧を着て馬に乗った貴族同士の一騎打ちが主流でした。
裕福な平民が大勢武装した。
しかし、新たな武具が登場した時代になると、平民の中には武具をそろえることができるほど裕福な者も現れていました。
また、手工業の進展により武器の価格も下落し、入手が容易になりました。
新たな戦闘スタイルの確立。
個々の兵士に丈夫な鎧と大型の盾といった装備が行き渡ったとき、新たな戦術が考案されます。
それが重装歩兵による密集隊形『ファランクス』です。
重装歩兵が密集隊形になり、歩兵が大型盾と槍を構えます。重装歩兵たちは横並びで隣人の防御を担当しつつ、横長で堅固な隊列を組んで戦いました。
このようなファランクスが敵軍に肉薄すると、視覚的にも戦闘力でも圧倒的な迫力を示しました。
ファランクスの余談。
余談になりますが、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がギリシア遠征で侵攻した際、ギリシャ側のこの重装歩兵戦術『ファランクス』がペルシアの大軍を打ち破りました。
この頃にはファランクスも改良が施されていて、兜や胸甲を革や麻にして軽量化することで大楯・密集による防御力、槍の攻撃力に加えて、機動力まで確保していました。それゆえにファランクスはペルシアの大軍相手にすさまじい威力を発揮しました。
その代表例が紀元前490年のアテネ軍の『マラトンの戦い』や紀元前479年のアテネ・スパルタ・ギリシャ連合軍による『プラタイアの戦い』です。共にギリシャ側が勝利しました。
また、余談の余談なのですが、現代のアメリカ海軍艦艇や海上自衛隊の護衛艦に搭載されている個艦防空のための近接武器システムも『ファランクス』と名付けられています。
平民たちの台頭。
経済力に加えて軍事力を平民が手にしたこの時代、ポリス運営のために貴族が平民の力に依存せざるを得なくなっていました。
経済力・経済的発展はポリスの繁栄とは切っても切り離せませんし、重装歩兵なしではポリスの防衛もままなりません。
当然平民も自分たちの社会的要求や政治的要求をポリスの支配者たる貴族側に突きつけます。
こうして貴族政は徐々に変質していったのです。
貴族政の次はポリスで最盛期の『民主政』が発展してゆくのですが、それは後日別の記事にまとめたいと思います。
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