【歴史新聞】卑弥呼、本日ついに金印を授かる!

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卑弥呼

【魏・洛陽発 号外】

倭国よりの使節、洛陽に到着 魏皇帝、親魏倭王を正式に認定!

景初二年六月三日(西暦238年7月)
洛陽特派員=張 周生 記

本日、魏帝・曹叡(文帝)は、東方海上の島国・倭国より来訪した使節に対し、金印・銅鏡百枚・絹布などを下賜し、卑弥呼を「親魏倭王」と正式に認定した。
古代東アジアにおける重大な外交事件であり、宮中でもその話題で持ちきりとなっている。


◆“巫女王”卑弥呼、外交の舞台に現る

倭国は長年、部族間の争いが絶えず、内乱状態にあったが、数年前より一人の巫女を王に据え、国を統一したと伝えられている。その名こそが卑弥呼(ひみこ)
魏の朝廷では、彼女の統治が安定しているとの報告を受け、朝貢に応じて冊封(外交的承認)を行う判断を下した。

魏国書記官の張允(仮名)は、儀式の模様を次のように語った。

「倭の使節らは長旅の疲れも見せず、皇帝陛下に深々と頭を下げて金印を賜った。印章は純金製、刻まれた文字は『親魏倭王』。その瞬間、倭の国名が歴史に刻まれたのだ」


◆外交史上の快挙、東方からの王権認定は異例

中国東方の辺境から来た女王に「親魏倭王」の称号を与えるのは、極めて異例なことである。
魏の王権にとっても、東方政策の一環として戦略的意味を持っているとされる。

洛陽大学・国際関係史学教授の呂文啓氏は、こう解説する。

「卑弥呼はただの朝貢者ではない。彼女は倭国を外交的に一枚岩にし、魏と結ぶことで自身の権威を高めた。これは、古代における“王権のブランディング”でもありました。魏としても、東夷(ひがしのい)を安定化させる上で、卑弥呼の存在は都合がよかった」


◆使節が持ち帰るのは、金印だけではない

今回の下賜品は、金印のほかに銅鏡百枚・絹布・真珠・錦など多岐にわたる。
とりわけ銅鏡は、倭国内において王権の象徴とされており、卑弥呼の威信を高める武器となるだろう。

魏の外交官・鍾離賢(仮名)は語る。

「“金印を持つ者が王である”という観念は、もはや東方の島々にも及んでいる。倭の民はこれで、“卑弥呼こそが正統なる女王”と信じるに違いない」


◆れふかん編集部あとがき

魏志倭人伝によれば、卑弥呼は「鬼道(神の道)」を以て国を治め、千人の侍女を従えると伝えられる。そのような神秘的支配者が、今、国際秩序の中で公式に認められたことは、東アジアの秩序に大きな影響を与えるに違いない。

邪馬台国の女王・卑弥呼、金印を得る。
その印は、やがて日本列島の王権思想を形作る“始まりの印章”となるのかもしれない。

(*当ブログ【歴史ファンの玄関:れふかん】は、新聞記事形式による臨場感あふれる歴史提供が持ち味になっております)

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