- 1. はじめに──「国王処刑」の衝撃
- 2. ルイ16世処刑の前提:革命の進展と王権の崩壊
- 3. 1793年1月:国民公会の裁判
- 4. 裁判におけるルイ16世の証言
- 5. 死刑確定までの議論と票決
- 6. 処刑当日の詳細:1793年1月21日
- 7. ギロチンという装置の意味
- 8. 処刑を描いた図像と絵画
- 9. ルイ16世の遺言と最期の言葉
- 10. 市民の反応:歓喜と沈黙、そして怒り
- 11. 王妃マリー・アントワネットの運命
- 12. 国際社会の反応と対仏戦争
- 13. 歴史的意義──王の死と共和国の始まり
- 14. 処刑をめぐる歴史家の議論
- 15. ルイ16世処刑を描いた文学・映画
- 16. 現代フランスにおける記憶と記念
- 17. まとめ:処刑という政治行為の本質
- 18. 脚注・参考文献
1. はじめに──「国王処刑」の衝撃
1793年1月21日、フランス国王ルイ16世はパリ・コンコルド広場(当時の「革命広場」)にてギロチンで処刑された。「神の代理人」たる王の処刑は、世界史における未曽有の事件であり、象徴的かつ実質的に近代ヨーロッパの時代区分を変えた瞬間である。
2. ルイ16世処刑の前提:革命の進展と王権の崩壊
バスティーユ襲撃(1789)からヴァレンヌ逃亡事件(1791)を経て、王政への不信は国民の怒りへと転じた。1792年8月10日のチュイルリー宮殿襲撃によって王権は完全に停止。9月には第一共和政が宣言され、ルイ16世は「ルイ・カペー」として市民に格下げされた。
3. 1793年1月:国民公会の裁判
国民公会(Convention nationale)は、王に対して正式な裁判を開始。主な罪状は以下の通り:
- 国家への裏切り
- 外国勢力との通謀(亡命貴族やオーストリアとの連絡)
- 憲法違反と武装弾圧命令
- 市民の自由と安全の侵害
国王に対する裁判は歴史的にも極めて稀。王自らが被告席に立つという図は、王権神授説の完全否定でもあった。
4. 裁判におけるルイ16世の証言
ルイは終始冷静で、自らの行動の正当性を主張。とくに「国民の安全を守るためだった」という言葉が注目されたが、すでに民衆の信頼は失われていた。
5. 死刑確定までの議論と票決
1793年1月17日、国民公会の投票により、387票対334票で死刑が決定。
- 死刑賛成:387名
- 反対・保留・幽閉主張:334名
わずか53票差の判断は、革命が王権の「死」を必要とした事実を物語っている。
6. 処刑当日の詳細:1793年1月21日

午前10時過ぎ、ルイはコンシェルジュリ監獄から馬車で広場へ移送。白のシャツを着た彼は、神父と共に祈りながらギロチン台に登る。
処刑台の上で彼は群衆に向かってこう語った。
「私は国民の友であり、誰にも害を加えたことはない。私は罪なくして死ぬのだ。」
直後、彼の声は太鼓の音にかき消され、ギロチンの刃が振り下ろされた。
7. ギロチンという装置の意味
ギロチンは平等な死を象徴する「啓蒙的処刑装置」とされ、フランス革命期に広く使用された。
ギロチンの発案者ギヨタン博士は、人道的処刑方法を意図していた。
8. 処刑を描いた図像と絵画
多数の版画・リトグラフが存在。特に19世紀以降の歴史画では、白い衣をまとい処刑台に立つルイ16世の姿が「殉教者」として描かれることが多い。
9. ルイ16世の遺言と最期の言葉
処刑前にルイが記した遺書では、妻アントワネットと子供たちへの愛情、神への信仰、民への許しが表現されている。彼の最後の言葉は今なお議論されるが、「国民よ、私は無実だ」という説が有力。
10. 市民の反応:歓喜と沈黙、そして怒り
広場には数万人が集まったが、その反応は一様ではなかった。
- 革命派:「共和国万歳!」の歓声
- 王党派:沈黙と涙
- 中間層:恐怖と戸惑い
11. 王妃マリー・アントワネットの運命
ルイの処刑から9ヶ月後、マリー・アントワネットもギロチンにかけられる。この夫妻の死は、「旧体制(アンシャン・レジーム)の終焉」を決定づけた。

12. 国際社会の反応と対仏戦争
王の死はヨーロッパ君主国に衝撃を与え、イギリス、スペイン、オーストリアなどが対フランス同盟を形成。革命は内戦と対外戦争に突入した。
13. 歴史的意義──王の死と共和国の始まり
ルイ16世の処刑は、単なる政変ではなく、神聖不可侵だった王権を「市民の意志」で終わらせた象徴的事件であり、近代政治思想の胎動である。
14. 処刑をめぐる歴史家の議論
- アルベール・ソブール:「必要悪であった」
- フランソワ・フュレ:「処刑が革命を過激化させた」
- サイモン・シャーマ:「死の演出によって王権の神話が消滅した」
15. ルイ16世処刑を描いた文学・映画
- ヴィクトル・ユゴー『93年』:革命の暴力性を問う
- 映画『ルイ16世とマリー・アントワネット』(1989)
- 漫画『ベルサイユのばら』:王の死と少女の視点
16. 現代フランスにおける記憶と記念
毎年1月21日、王党派の一部は「ルイ16世追悼ミサ」を実施。同時に、共和国の成立を記念する式典も存在。歴史としては受容されたが、感情的にはいまだ分かれる出来事である。
17. まとめ:処刑という政治行為の本質
- 「王の死」は制度の死ではなく、新たな政治体制の出発点
- 道徳・宗教・秩序が揺らぐ中、革命は正義と暴力を同時に抱えていた
18. 脚注・参考文献
- Larousse.fr「Exécution de Louis XVI」
- Mona Ozouf, La Fête révolutionnaire, Gallimard
- Simon Schama, Citizens: A Chronicle of the French Revolution
- William Doyle, The Oxford History of the French Revolution
- Jean Tulard, La Révolution française pour les nuls