『ロンドン・ガゼット紙 1714年8月2日号(特別号)』
【速報】アン女王崩御! 王位はハノーヴァーへ ——スチュアート王朝、ついに断絶
【ロンドン発】
本紙は、去る7月31日早朝、我らが君主アン女王陛下がケンジントン宮殿にて永眠されたとの報を受け、深い悲しみに包まれつつ、この重大な訃報をお伝えするものである。女王は数年にわたる健康悪化の末、49歳で崩御された。これにより、1485年にヘンリー7世がバラ戦争を制して以来、229年間続いたチューダー=スチュアート両王朝の流れが断たれることとなった。
王室に近い関係者によれば、女王は晩年、痛風・肥満・精神的衰弱に苦しみ、しばしば枢密院の議事にも出席できないほどであったという。複数の王子・王女をもうけながらも、いずれも夭折あるいは成人せずに世を去ったことが、陛下の生涯に重い影を落とした。
後継者にジョージ・ルイス殿下 ——海峡を越えた王の即位へ
事態を受け、王位はドイツ・ハノーヴァー選帝侯であるジョージ・ルイス殿下(54)へと継承されることが決定。殿下は故女王の祖母ジェームズ1世の曾孫にあたる、プロテスタントの血統を受け継ぐ者として、1701年の王位継承法(Act of Settlement)により指名されていた。
すでにドーヴァー海峡を越え、殿下はロンドン入りの途上にあると見られ、近くジョージ1世として即位の儀が執り行われる運びだ。これにより、イングランドとスコットランド、そしてアイルランドを支配してきたスチュアート家は正式に断絶し、ハノーヴァー朝が幕を開けることとなる。
街の声:「女王は気高き方だった」「ドイツ出身の王? 馴染めるかしら」
市内では、国民のあいだに女王の死を悼む声と、新王への戸惑いが交錯している。
「女王は最後まで祖国を思っておられた。戦争にも耐え、教会を守った。偉大なる女王だった」(聖ポール大聖堂近くの高齢女性)
「プロテスタントの国王が続くのは安心だが、ドイツ語しか話せぬ王に果たしてこの国を治められるのか?」(ホワイトホールの商人)
「ジャコバイト」動向にも緊張 ——海の向こうの亡命王子が動く?
一部では、“真の王”とされるスチュアート家の亡命者、すなわち故ジェームズ2世の息子「大僭称者(The Old Pretender)」ことジェームズ・フランシス・エドワードが動きを見せるとの報もある。
この「ジャコバイト派」は、王家の正統性を訴え続けており、今後、ハイランド地方やカトリック諸侯の動向には注意が必要だ。内乱の火種が再び燻らないとも限らない。
女王の時代、いかに記憶されるか
アン女王の治世(1702〜1714)は、スペイン継承戦争や**スコットランドとの合同(1707)**など、大英帝国の基礎を築いた時代でもあった。文学・科学・商業も隆盛を極め、ポープやスウィフトといった文豪が登場したのもこの時期である。
「女王陛下の治世こそ、真の意味でグレートブリテンが誕生した時代であった」——歴史学者モールス卿
🕊 編集部より
本紙は、スチュアート朝の終焉という時代の大転換を迎えるにあたり、読者諸兄にあらためて王国の平和と信仰の堅持を祈念する。一王朝の終焉は、また新たなる時代の始まりである。
(*当ブログ【歴史ファンの玄関:れふかん】は、各時代に発行された新聞記事をそのままお届けしているかのような、他では味わえない、臨場感あふれる歴史提供を持ち味にしています)