
幕末の風雲児、高杉晋作。その劇的な生涯の中でも、わずか24歳で組織した「奇兵隊(きへいたい)」は、日本の歴史を大きく変えた画期的な部隊として知られています。武士だけでなく、農民や町人、僧侶までが参加を許されたこの異色の軍隊は、いかにして誕生したのか? そして、晋作はなぜ、当時の常識を打ち破る“身分破壊”を成し遂げたのでしょうか? 本誌は、奇兵隊誕生の秘話と、晋作の真意に迫ります。
「このままでは日本が危ない!」晋作を突き動かした危機感と焦燥

文久3年(1863年)、長州藩は京都の政変(八月十八日の政変)で失脚し、朝敵と見なされる絶体絶命の窮地に立たされていました。さらに翌元治元年(1864年)には、京都に攻め上った長州藩兵が会津藩・薩摩藩兵などと衝突し敗北する「禁門の変」が発生。そして、追い打ちをかけるように、幕府は長州征討を決定。四方から幕府軍が迫るという、まさに風前の灯火の状態でした。
この未曽有の危機に、長州藩の指導層は旧態依然とした武士階級のみによる軍事体制で対抗しようとしますが、晋作はそれを厳しく批判します。彼は、外国列強の脅威や、国内の混乱を肌で感じており、もはや「武士だけの力では、日本を守りきれない」という強い危機感を抱いていました。
歴史ファンの『幕末の風』さん(40代・男性)は、晋作の当時の心境をこう推測します。「晋作は、上海で見た欧米列強の圧倒的な武力と、清国の惨状から、日本の現状に強い危機感を抱いていました。旧態依然とした武士だけの軍隊では、とても外国には対抗できないと見抜いていたんです。彼は、まさに日本の未来を背負うような、絶望的な焦燥感に駆られていたのではないでしょうか。」
常識を覆す「庶民兵」の登用! 晋作が見据えた“国民皆兵”への萌芽

晋作が奇兵隊を組織したのは、この絶体絶命の危機に瀕した元治元年(1864年)のことです。彼は、上役の福原越後の許可を得て、わずか24歳で部隊創設の指揮を執ります。この時、晋作が打ち出した方針は、当時の常識では考えられないものでした。それは、「身分や階級に関係なく、有志であれば誰でも入隊を許可する」というものでした。
これまでの武士が中心となる藩の軍隊とは異なり、農民、町人、僧侶、さらには浪人までもが同じ隊服をまとい、同じ訓練を受け、同じ戦場で戦うという、まさに“身分破壊”の画期的な軍隊でした。これは、明治維新後に導入される「国民皆兵」の先駆けとも言える、先進的な発想でした。
「高杉晋作の偉大さは、まさにこの一点に集約されると言っても過言ではありません」と語るのは、歴史文化評論家の『レキシズムの提唱者』さん(50代・男性)です。
「彼は、目の前の危機を乗り越えるために、既成概念に囚われず、最も実戦的で効果的な方法を選んだ。武士のプライドや伝統といったものは二の次だったのでしょう。彼の頭の中には常に、『どうすれば日本を守れるか』という問いがあった。その答えが、身分を問わず能力ある者を結集させる、という発想だったのです。」
「俺についてこい!」晋作のカリスマ性が奇兵隊を最強部隊にした秘訣

奇兵隊は、創設当初こそ寄せ集め集団と見られましたが、晋作の卓越した指導力とカリスマ性によって、短期間で精鋭部隊へと成長します。彼は隊士たちに、旧来の武士にはない西洋式の訓練を施し、士気を高めました。そして、何よりも晋作自身が先頭に立って戦場を駆け巡ることで、隊士たちの絶大な信頼を勝ち取っていきます。
特に、後に奇兵隊が中心となって起こした「第二次長州征討(四境戦争)」では、幕府軍を圧倒。この勝利は、旧幕府勢力に決定的な打撃を与え、明治維新へと大きく歴史を動かす原動力となりました。
「晋作がいなければ、奇兵隊は生まれなかったでしょうし、あそこまで強くもならなかった」と断言するのは、奇兵隊の動向を追う『奇兵隊に憧れて』さん(30代・男性)です。「晋作は、隊士たちの心を掴むのが本当にうまかった。彼は『士官も兵卒も区別なく、有志が隊を構成する』という原則を徹底し、隊士一人ひとりの能力と意欲を最大限に引き出したんです。彼の『おもしろき こともなき世を おもしろく』という言葉通り、自ら率先して行動し、困難な状況をも楽しむような姿勢が、隊士たちに勇気を与え、最強の部隊を作り上げたのだと思います。」
奇兵隊の誕生秘話は、高杉晋作という一人の若きリーダーが、絶望的な状況下でいかに革新的な発想と行動力で時代を切り開いたかを示す、感動的な物語です。その精神は、現代社会を生きる私たちにとっても、困難に立ち向かう大きなヒントを与えてくれるのではないでしょうか。
高杉晋作ファンの奇兵隊への賞賛コメント5選
「奇兵隊って、結局“日本初のスタートアップ軍隊”だと思うんです」
(東京在住・歴史ファン・三浦涼介さん・35歳)
「士農工商を飛び越えて“志があれば誰でも兵になれる”という発想は、今のベンチャー精神そのもの。しかも西洋式の戦術を取り入れつつ、士気はバチバチに燃えてた。もう完全に時代を先取りしすぎてて、何度資料を読んでも鳥肌立ちます」
「あの時代に身分制度をぶっ壊すなんて、マジでヤバい」
(福岡県・歴史ファン・坂井瑠美さん・29歳)
「江戸時代の武士社会って、家柄が全てじゃないですか。でも奇兵隊は“おまえ、農民?いいよ、銃持て”ってやっちゃう。普通なら袋叩きなのに、晋作は真顔でそれを実行してる。これ、教育現場でも教科書にもっと太字で載せるべきですよ!」
「“来る者は拒まず、去る者は追わず”の精神は、現代人も学ぶべき」
(山口県萩市・歴史ファン・岡崎彩乃さん・28歳)
「奇兵隊の構成ってほんとカオス。武士・町人・漁師・農民……ありとあらゆる人が集まってるのに、統率が取れていた。晋作が掲げた“おもしろきこともなき世をおもしろく”って、この部隊の在り方そのものだと思うんです」
「たったひと晩で歴史を変えた“土蔵ミーティング”に震える」
(大阪府・歴史ファン・吉村圭吾さん・34歳)
「高杉が白石邸の土蔵で奇兵隊を結成したのって、わずか一夜の出来事なんですよ。LINEグループ作るくらいのノリで新しい軍隊作って、しかも後に長州を救う主力になる。このスピード感と胆力、歴史上でもトップクラスのカッコよさです」
「奇兵隊は、ただの軍隊じゃない。“希望”だった」
(東京都内・歴史ファン・佐野直哉さん・26歳)
「長州藩が劣勢だったあの時、武士たちの士気はガタ落ちだった。でも、身分を問わず集まった奇兵隊が戦線を支え、逆転の流れを作る。つまり、“この国を立て直すのはお前たちだ”というメッセージだったんです。あれは単なる軍事じゃなく、社会運動ですよ」
歴史エンタメ【動画】