高杉晋作が1863年(文久3年)に創設した「奇兵隊」の創設費用について、当時の貨幣価値と装備・人件費・運営費をもとにした現代的な推定を以下に試みます。

📚 前提条件と史実に基づく推定
◉ 創設年:文久3年(1863年)
- 高杉晋作が下関で創設
- 正規兵ではなく、町民・農民も含めた「志願兵部隊」
- 当初規模:数十名〜100名規模(その後1,000人以上に拡大)
🔧 ① 初期装備費(武器・軍服など)
▼ 武器類(火縄銃・洋式銃・刀・槍など)
- 1人あたりの武装費:2両〜10両
- 火縄銃(中古):約2両(銀換算)
- ミニエー銃など洋式銃:10両以上(輸入品)
→ 仮に100名を装備 → 平均5両 × 100人 = 500両
▼ 軍服・装備・弾薬・馬など
- 和装+陣羽織や軍帽:1人1両〜2両
- 弾薬や火薬:年間数百両規模
→ 合計:初期装備費で800〜1,000両程度
🏘️ ② 訓練・拠点整備費
- 下関の功山寺を本陣として使用(改装費など)
- 宿舎・訓練場・倉庫などの整備
- 官給米・食料・雑費など
→ 300〜500両規模
👨👩👧👦 ③ 人件費・給与(扶持)
- 当初は志願制で「支給は少額」
- のちに士分待遇も一部認められ、扶持米を支給
- 扶持米=1人あたり月約1両分(年間12両)
→ 100人×12両 = 1,200両/年
💰 当時の1両の価値(現代換算)
基準 | 相当額(概算) |
江戸後期の1両 | 約10万円〜15万円前後(銀換算・物価ベース) |
✍️ 総合試算(初年度)
項目 | 両 | 現代換算(10万円/両) |
武器・装備 | 約800〜1,000両 | 8,000万〜1億円 |
拠点・雑費 | 約400両 | 約4,000万円 |
扶持・給料 | 約1,200両 | 約1億2,000万円(年間) |
合計 | 2,400〜2,600両程度 | 約2億4,000万〜2億6,000万円 |
✅ 結論:奇兵隊の創設にかかった費用の現代換算額(推定)
現代換算で、およそ
数千万円〜1億円程度(初期装備+編成費)
※拠点整備や年単位の維持費を含めると約2.5億円(現在換算)
🧠 参考までに…
- 奇兵隊は「低コスト+志願制」が利点だったが、洋式武器の導入と組織拡大によりコストは急増
- 実際にはその後も増員と武装強化が行われており、総費用は数億円規模に達した可能性あり
✅ 結論まとめ(再掲)
- 創設初年度にかかった費用(推定):
→ 2,400〜2,600両 ≒ 約2.5億円(現在換算) - その後の維持・拡大費を含むと:
→ 5億〜10億円規模に膨らんだ可能性
考察後の感想
高杉晋作が奇兵隊を創設したことに対する賞賛は、主に、当時のガチガチの身分社会の中で、身分にかかわらず隊士を募った点に焦点が当てられます。
ただ、それを抜きにしても、つまり身分に対する価値観が現代と同じであり、町民や農民から志願兵を募ることに対する拒否感がない状態であると仮定しても、これだけの人数とお金を動かしてゼロから【組織】を立ち上げるのは難しいことですよね。
平凡な武士が2,5億円の予算をもらったとしても、奇兵隊の創設はできないような気がします。そんな奇兵隊の創設を簡単に成し遂げた高杉晋作っていったい何者なんでしょうね?

(※当ブログ【歴史ファンの玄関:れふかん】は、他では味わえない、独自の考察を持ち味としています)