どうもこんにちは。
現代に転生した元・幕末の志士、高杉晋作です(※今は都内の高校に通うJKやってます)。
え、なんで高杉晋作が女子高生になってるのかって?
うん、知らん。気がついたら制服着て「ホームルーム」受けてたよね。
とりあえず「歴史の授業で自分の名前が出てくる不思議」を抱えつつ、今回はざっくり自分の人生を語っていこうと思います。
🔹高杉晋作 年表
年号 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1839年(天保10年) | 0歳 | 長州藩・萩城下に生まれる。幼名は春風丸。父は藩士・高杉小忠太。 |
1847年(弘化4年) | 8歳 | 明倫館に入学。藩校で秀才として頭角を現す。 |
1857年(安政4年) | 18歳 | 江戸に出て、吉田松陰の私塾「松下村塾」に入門。松陰に強く影響を受ける。 |
1858年(安政5年) | 19歳 | 松陰が安政の大獄で捕縛される。高杉はその後も思想を受け継ぐ。 |
1862年(文久2年) | 23歳 | 長州藩の藩命で上海に渡航。欧米列強の実力に衝撃を受ける。帰国後、尊皇攘夷から倒幕路線へと思想を変化させる。 |
1863年(文久3年) | 24歳 | 下関での攘夷決行を主導。関門海峡を通過する外国船に砲撃する(→下関戦争へ)。 |
1863年(文久3年) | 24歳 | 長州藩の保守派に反発して脱藩。奇兵隊を結成し、身分にとらわれない民兵制度を導入。 |
1864年(元治元年) | 25歳 | 池田屋事件、禁門の変により、長州藩が朝敵とされる。高杉は下関で療養中だった。 |
1864年(元治元年) | 25歳 | 第一次長州征伐で幕府軍が攻め寄せる中、功山寺挙兵を決行。奇兵隊を率いて長州藩内の保守派を打倒。事実上の藩政を掌握する。 |
1865年(慶応元年) | 26歳 | 英仏米蘭との講和交渉を担当。下関戦争講和に成功。外交手腕を発揮。 |
1866年(慶応2年) | 27歳 | 薩長同盟が成立(西郷隆盛らと連携)。第二次長州征伐で長州軍が幕府軍に勝利。倒幕への転換点に。 |
1867年(慶応3年)4月14日 | 27歳 | 結核により下関・桜山で死去。享年27歳。最後まで倒幕を夢見た人生だった。辞世の句は「おもしろきこともなき世をおもしろく」 |
●下級武士の星、爆誕(1839年)
生まれは長州藩(いまの山口県)。下級武士の家だったんだけど、わりと恵まれた環境で育ったのよ。
幼少期から読書家で、剣術よりも漢詩が好きなインテリ系男子。てへ。
でも、ある日こんなこと思っちゃったんだよね。
「このままじゃ、日本、ヤバくね?」
そう、黒船ショックとかペリー来航とか、幕末ってマジでカオス。
●松下村塾でヒーロー養成(1857年)
で、出会っちゃうのよ、あの人に。
吉田松陰先生。
はい、来ました人生のターニングポイント。
松下村塾で「国の未来は君たち若者にかかってる!」みたいな熱血スパルタ教育受けて、完全に開眼。
「日本を変えねば!」と目覚めた私は、藩の中でも頭角を現していきます。
●幕府?ナメてんの?(1863年)
長州藩の志士たちと「尊王攘夷(そんのうじょうい)」運動に突入。
とりあえず下関で外国船に砲撃ぶちかましたりしてたけど、実は内心では、
「ガチで戦争しても勝てねぇな…」
と冷静に判断。そこから一転、今度は「開国・武力倒幕」へとシフトチェンジ。
手のひら返しすぎ?でもこれが現実的戦略ってもんよ。
●奇兵隊つくってみた(1863年)
「武士だけで戦争してる時代は終わりっしょ」ってことで、農民・町人・浪人もOKな私設軍隊『奇兵隊』を結成。
このとき私は24歳。
JKの今の私が言うのもなんだけど、24歳で民兵作るって、だいぶぶっ飛んでたよね。
ちなみにこれ、当時の長州藩の中でもめちゃくちゃ異端扱いされたから。
けど最終的にこれが倒幕の原動力になったってんだから、人生分かんないもんだよね。
●幕府に喧嘩売ったら藩内クーデター勃発(1864年)
京都で池田屋事件とか禁門の変とかゴタゴタあって、長州が幕府に目ぇつけられちゃってさ。
そしたら今度は藩内の保守派に、
「お前のせいでヤバくなったやん!責任取れや!」
って追われて、私は一時亡命。
萩で病床に伏しながらも、「世直しは諦めない」と誓ったあの夜、マジで泣いたよ。いや、今でも思い出すと泣ける。
●いよいよクライマックス。第二次長州戦争(1866年)
ようやく復帰して、木戸孝允らと手を組んで倒幕の準備。
薩摩と長州が同盟(いわゆる「薩長同盟」)を組んで、幕府に立ち向かう体制ができたころ…
――病、発症。
はい、肺結核ですね。
奇兵隊を率いて未来を変えようとしたけど、病魔だけはどうにもならなかった。
1867年、27歳で人生終了。
まさか27で死ぬとはね。
しかも翌年、ほんとに幕府が滅ぶという。
「え?あと1年生きてたら時代が変わるとこ見れたのに?」って思ったよね、転生した今なら余計に。
●まとめ:人生、短し、革命せよJK。
というわけで、ざっくり私の幕末ライフを語ってみました。
政治的にはブレまくってたように見えるけど、根っこはずっと「日本をよくしたい」って信念だけだった。
今は女子高生として生きてるけど、いつだって志(こころざし)は持ち続けてる。
スマホと制服の時代でも、命を懸けて世界を変える奴はいる。
…たぶん、ね。
じゃ、また次の日本史の授業で会おうぜ。
教科書の中でな!

※当ブログ【歴史ファンの玄関:れふかん】は、本人に語らせるスタイルの歴史解説が持ち味となっております。