最後にクイズを用意しています。
楽しんでいただけると幸いです。
上杉謙信の女性説に関して調べられるだけ調べてみました。
上杉謙信の8つの女性説
上杉謙信が女性とされる根拠は8つありました。
上杉謙信の女性説の根拠1
上杉謙信は結婚しておらず、子供もいない。
上杉謙信が結婚できなかったのは謙信が女だったからだ。
もしも男と結婚してしまえば、男尊女卑の時代なので謙信の上杉家当主の座が夫に奪われる可能性が高かった。
謙信は上杉家当主のままでいたかった。
上杉謙信の女性説の根拠2
ある歴史書物の文章の中で、上杉謙信が美しいと言及されている。
その漢字は明らかに女性を指す美しいという意味であった。
だから上杉謙信は女だ。
上杉謙信の女性説の根拠3
北条氏の文書には、上杉謙信は毎月10日頃、激しい腹痛に襲われ、馬に乗ることもできなかったと記されている。 そのため、彼はその日の前後には決して戦闘に参加しなかった。
この腹痛とは生理痛のことで、上杉謙信が女性である証拠だ。
松平忠明の書いた文章(当代記)と北条氏の記録によると、6月11日、北条氏の城が陥落間近だったにも関わらず、謙信は腹痛のため撤退を余儀なくされた。
上杉謙信の女性説の根拠4
多くの歴史家は、謙信が3月9日から11日の間に亡くなったことに同意している。
上杉家は、当主の上杉謙信がどのように亡くなったかを極秘にしており、ただ亡くなったとだけ言っている。
松平忠明が記したとされる『当代記』の天正六年条には「此の春越後景虎(上杉謙信)卒去(年四十九)大虫と云々」と記載されている。
この「大虫」は月経や婦人病として当時使われていた言葉とされる。つまり、江戸時代初期の歴史家の松平忠明は、謙信の死の原因は子宮からの出血だったと述べている。
上杉謙信の女性説の根拠5
毘沙門天としての謙信の肖像画では、彼の足に杯が置かれている。
日本の古代の象徴主義によれば、花瓶や瓶は男性を象徴し、カップは女性を象徴している。
江戸時代以前の絵画では、ひげのない上杉謙信が描かれており、女性的ではっきりとした外見をしている。
通常、男性はひげを生やして描かれ、女性はよりはっきりした顔をしているとのこと。
上杉謙信の女性説の根拠6
春日山の毘沙門天堂(謙信の本拠城)の毘沙門天像は女性である。
住職はその理由が分からず、謙信の時代からこの像があったと述べた。
上杉謙信の女性説の根拠7
謙信は女性の部屋に自由に出入りでき、足利将軍の母親や妹と頻繁に遊んだことが記録されている。
女性部屋への立ち入りや将軍の母親への私的な訪問を許可されたのは唯一、女性だけだ。
いくら上杉謙信が将軍に近かったとしても、男であればそれはできない。
上杉謙信の女性説の根拠8
スペイン内戦中に、謙信のことを上杉景勝の叔母と呼んでいるイエズス会の宣教師の文書が発見された。
上杉謙信の8つの女性説の否定チャレンジ
上杉謙信の女性説の8つの根拠を順に否定することにチャレンジしていきます。
上杉謙信が結婚しておらず子供がいない。だから女性だという説の否定
もしも謙信が女性なら、イギリスのエリザベス女王やロシアのエカチェリーナ2世や中国の則天武后や日本の推古天皇のように女君主であるという文献が大量に残されているはずだ。
男尊女卑の時代にはそれぐらい女君主は珍しい。
確かにイギリスのエリザベス1世は生涯未婚だった。
しかし同時にエリザベス女王には彼女が女性だという記録は大量に残っている。
謙信が女性なら、なぜそれを示唆する記録がほんの数点しか残っていないのか。
女君主がいるということはとても珍しいことなので、当時の武士から庶民まで大ニュースになるはずだ。
スマホもテレビも新聞さえない、娯楽が少ない時代の庶民にとっては噂話さえ娯楽の一つだ。
珍しい話は恰好の娯楽の的にされる。しかし女君主が長年越後を治めているという珍しすぎる大ニュースが広がった形跡や記録はほとんどない。
なぜか?
それは上杉謙信は男だったからだ。
越後の武士や庶民は謙信が男であることを知っていた。
だから謙信には女であることを示唆する記録が数点しか残っていないのだ。
また、謙信が結婚しなかったのは宗教的な理由からかもしれないし、男色家だったからかもしれないし、女性に対するストライクゾーンが極端に狭かったのかもしれない。
だから未婚を理由に女性であると断定するのはおかしい。
また、時代が違うので本題とは逸れるが、未婚であるという条件だけで女性になるなら、未婚者が多い現代社会は女性だらけということになるだろう。
歴史書の中で上杉謙信が女性に使う美しいという言葉で表現されていたから謙信は女だという説の否定
残念ながらその歴史書物をこちらで確認できませんでしたが、まあその書物が実在するとしましょう。
さて、上杉謙信が女性のように美しかったからといって謙信が女性だとあなたは断定できますか?
女性のように美しい男性っていますよね。
中性的な見た目の男性もいますよね。
文章を書き残す人が、真実かどうか裏付けがとれない適当なことを書く場合もありますよね。
一人や数人が書き残したことをすぐに真実だと断定するのは危険です。(もちろん真実の可能性もありますが)
百人がまったく同じことを書いていたらそれは真実でしょうが。
たとえば徳川家は代々【将軍】だったとか。
まあ、個人的には百人でなくても別々の10人が同じことを書き残していると真実であると判断しやすくなると思いますが。
一方で、1人や数人しか書き残していない事柄の真実味は半々以下のような気がします。
だからあなたも当ブログの内容が疑わしいなと感じたら、他にもこのブログと同じ内容を書いている人がいるかどうか確認してくださいね。
10人以上が同じことを書いていたら真実味が半々よりは増すでしょう。
上杉謙信は毎月10日頃に腹痛に襲われていたので女性だという説の否定
北条氏のこの記録が真実なら、まあ、謙信が女性だという可能性は否定できませんね。
上杉謙信の死因から謙信は女性だという説の否定
重ね重ねになりますが、【複数の資料】で謙信の死因が子宮からの出血死とされているわけではありません。
上杉謙信がトイレで死んだ原因は脳卒中だともいわれています。
上杉謙信の死因が【不明】だとする学者もいます。
色々な説がある場合は、人間は自分が信じたいことを信じる傾向があります。
だからといって根拠不足のまま断定するのは早計のような気がします。
肖像画から上杉謙信は女性であるという説の否定
上杉謙信が女性的に描かれた戦国時代に描かれた肖像画をネット上で確認することができずに判断を保留。
春日山の毘沙門天堂の毘沙門天像は女性であるが、住職はその理由が分からず、謙信の時代からこの像があったと述べたという説の否定
住職の発言は裏づけを取れず。
毘沙門天像は、まあ、女性に見えないこともない。
著作権の関係から画像は貼ることができないので、他サイト様の写真を見てください。
像は男性っぽいですが体の線が女性にも見えるのでご自身で判断してください。
上杉謙信が足利将軍家の女性の部屋に出入りできたので謙信は女性であるという説の否定
そのような内容が書かれた文書を確認できず。(努力不足でごめんなさい)
仮にその文章が実在したとしも次の2つのハードルを越えなければ上杉謙信が女性であるとは断定できない。
1・一人でなく大勢が同じ内容の文章を残しているのか?
一人しか残していない文章はその内容が真実である可能性はあるものの、真実であると【断定】することはできない。
2・上杉謙信が足利将軍家の女性と面会していたとしても、その場に将軍が同行していて特別な許しがあった可能性は否定できない。
宣教師の残した文章から上杉謙信が女性だという説の否定
スペイン内戦中に、謙信のことを上杉景勝の叔母と呼んでいるイエズス会の文書が発見されたのは真実らしいが、だからといって文章の内容が真実とは限らない。
文章の内容が真実である保証がない、などと言い始めてしまえば、世の中のすべての歴史文献を否定することができてしまうが、仕方ない。
世の中には二種類の文章がある。それは真実が書かれた文書と、真実が書かれていない文書だ。
そしてそれをどちらか断定できないことも多い。
たとえば、卑弥呼の邪馬台国の政権が九州にあったのか関西にあったのかは古代中国の書物の内容の真偽、解釈の違いによって今でも謎のままだ。
そういう謎が多いのも歴史の面白いところだ。
上杉謙信女性説のまとめ
上杉謙信が男性であると断定しようとしても、女性であると断定しようとしても、どちらにも反論を投げかけることができる。断定するのはそれぐらい難しい。
ただし上杉謙信の男性説が圧倒的に有利だ。
初めからわかっていたことだが、エリザベス女王と比べて謙信の女性説の根拠とされる資料が乏しすぎる。
エリザベス女王と比べなくても、上杉謙信が真に女性だったなら北条家以外にも、たとえば武田家や織田家といった上杉家と敵対した勢力にも上杉謙信女性説を裏付ける文書が大量に残っているはずだ。
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