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この記事では浅野長政の2つの逸話を紹介します。
そしてさらに浅野長政と石田三成の3つのエピソード、浅野長政と徳川家康の6つのエピソードにも触れています。
合わせて11個の逸話・エピソードをお楽しみください。
浅野長政の逸話
浅野長政という人物は、尾張国(≒愛知県西部)の田舎の貧しい下級武士の子供でした。
しかし彼は戦国時代の波に乗り、のちに甲斐国(≒山梨県)に22万石を授かる大出世を果たしたました。
(1石=140キログラム。成人男性の1年分の米の消費量に相当する。現代の現金に換算すると1石=約5万円)
現代でたとえると貧乏人から年商110億円の社長になったようなものです。
そんな浅野長政の戦国時代の逸話やエピソードをまとめました。
逸話その1
・浅野長政の家臣が伊勢に行く途中のある夜に不動明王のような化け物と遭遇した。
彼は抜刀して化け物を斬った。
翌朝に同じ場所を確認するとそこには苔の生えた石仏があり、その石仏の頭部には切り傷があり赤い血を流していた。
この家臣が起こった出来事を浅野長政に報告する。すると浅野長政は家臣が化け物(石仏?)を斬ったという刀を調べさせる。
すると刀は刃こぼれ一つしていなかった。名刀だと考えた浅野長政はこの刀を主君の豊臣秀吉に献上する。
この刀は実は備中青江の作品の紛れもない名刀であった。秀吉はこの刀を家臣の京極忠高に与える。
以後、京極家の家宝として名刀は代々引き継がれていった。
逸話その2
・浅野長政は浅野稲荷を、特に稲荷大明神を崇拝していた。
朝野稲荷を自分の氏神であるかのように信望していた長政だったが、これには【浅野】と【朝野】が似ていることを気に入っていたからという理由があった。
浅野長政は一日に朝夕に二度必ず 朝野稲荷に参拝することを日課としていた。
それはたとえ主君の豊臣秀吉のご機嫌伺いをしない日でも、 朝野稲荷には参拝するほどだったという。
やがて朝野稲荷は荒廃して狐狸の棲み処となった。
朝野稲荷の跡地には山崎家盛という人物が禅院を建てる。
浅野長政の子孫の忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の生みの母は、この山崎家の出身であることは、奇妙な偶然である。
浅野長政と石田三成の逸話・エピソードまとめ
関連記事として以下の記事に3つのエピソードをまとめています。
具体的には、
・浅野長政の検地漏れを石田三成が訂正したエピソード。
・徳川家康を悪く言う石田三成から、浅野長政が家康をかばったエピソード。
・朝鮮出兵を巡り、賛成派の石田三成と反対派の浅野長政が対立したエピソード。
の3つになっています。
浅野長政と徳川家康の6つの逸話・エピソードまとめ
関連記事として以下の記事に6つのエピソードをまとめています。
具体的には、
・徳川家康の結婚を浅野長政が仲介したエピソード。
・浅野長政が徳川家康の謀反の疑いを晴らしたエピソード。
・豊臣秀吉の怒りを買っていた浅野長政が徳川家康に救われたエピソード。
・徳川家康が浅野長政の息子を救ったエピソード。
・徳川家康の関ケ原の戦いと浅野長政のエピソード。
・徳川家康と浅野長政の囲碁のエピソード。
の6つになっています。
参考文献。日本大百科全書。世界大百科事典。日本国語大辞典。国史大辞典。日本人名大辞典。日本大百科全書。他、図書館の多数の書籍。
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