アイゼンハワーとはどんな人?
アイゼンハワーはアメリカの第34代大統領です。
アイゼンハワーというのはドイツ系アメリカ人の名字ですが、
アイゼンハワーは第二次世界大戦ではアメリカ軍人としてドイツ軍と戦い活躍しました。
この活躍が認められアイゼンハワーはアメリカ軍の最高位である元帥の位まで昇進します。
第二次世界大戦が終わった7年後、アイゼンハワーは1952年の大統領選挙に当選してアメリカ第34代大統領となりました。
アイゼンハワーは大統領時代にはアメリカとソ連の冷戦の中でソ連の指導者のフルシチョフと会談して【雪解け】を演出しました。
アイゼンハワーの失敗談
アイゼンハワーは少年時代、勉強をせずに歴史書ばかりを読んでいました。
そのためアイゼンハワーの母親は本棚に鍵をかけましたが、母親が留守になると少年だった彼は勝手に鍵を開けて本を読みふけっていました。
彼はカルタゴのハンニバル将軍について書かれた本が特に大好きでした。高校生の頃には、友人は「アイゼンハワーはいつかエール大学の歴史学の教授になるんだろう」と思っていたという話もあります。
アイゼンハワーはアビリーン高校の新入生の頃に足を大怪我してしまい一年留年しました。
また、高校時代のアイゼンハワーは野球とアメリカン・フットボールが大好きでした。
そのため高校卒業後はスポーツを続けるという目的のためにウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学しました。
ただし、貧しい家庭に生まれたため高校卒業後すぐに陸軍士官学校に入学したのではなく、バター工場で働いていました。
陸軍士官学校に入学したアイゼンハワーはしかし、タフト大学との試合中に足の大怪我をします。
この大怪我が原因でアメリカン・フットボールが出来なくなるとアイゼンハワーは陸軍士官学校の中退を考えます。
クラスメイトに止められて学校に残ったものの、校則違反のヘビースモーカーへと、ドロップアウトしました。士官学校卒業時の成績は164人中61番でした。
アイゼンハワーは卒業後陸軍に入隊するものの、少佐の位から上に昇進できずに16年間も過ごしました。
この時期のアイゼンハワーはあまりパッとしない軍人とみなされていたのです。
また、フィリピン赴任時代のアイゼンハワーは上官のマッカーサーと馬が合わなかったとされています。
アイゼンハワーの軍人時代の成功
アイゼンハワーはヨーロッパ派遣アメリカ軍司令官(旅団長)となった時期に、折り合いが悪くあまりうまくいっていなかったアメリカ軍将校とイギリス軍将校の協力体制を向上させることに成功しました。
司令官の一人としてアイゼンハワーは連合軍のモロッコとアルジェリアへの上陸作戦であるトーチ作戦や、シチリア上陸作戦、イタリア上陸作戦に参加して成功を収めました。
これらの成功もあり、アイゼンハワーは諸部隊から【アイク】という愛称で呼ばれ、人気を高めていました。
そして1943年には当時のルーズヴェルト大統領が、アイゼンハワーに直接【オーバーロード作戦】を最高司令官として任せる旨を伝えています。オーバーロード作戦とはノルマンディー上陸作戦を始めとした、ドイツ軍が占領していた西ヨーロッパの奪還作戦です。
オーバーロード作戦の成功により西ヨーロッパの奪還され、ソ連にも東側から攻められるとドイツは降伏しました。
つまり、ドイツを降伏させヨーロッパの大戦を終わらせた英雄がアイゼンハワーなのです。
大統領としてのアイゼンハワー
大戦の英雄としてアメリカ本国に帰還したアイゼンハワー元帥は、コロンビア大学の学長や初代NATO(北太平洋条約機構)の総司令官(欧州連合軍総司令官)を務めました。
そして1952年の大統領選挙で共和党から初当選を果たし、その後2期連続で大統領を務めました。
大統領時代のアイゼンハワーは冷戦中のソ連の指導者であるフルシチョフと面会して雪解けを演出しました、また朝鮮戦争を終結(休戦)させたりもしました。
また、日本の岸信介首相とゴルフもしました。
アメリカ人には「日本に原子爆弾を落として正解だった」と考える政治家が一定数いるなか、アイゼンハワーは「日本に原子爆弾を落とす必要はなかった」という考えを持った人物でした。
アイゼンハワーの妻との逸話・エピソード
貧しい家庭に生まれ、高校を留年し、バター工場で働き、足を大怪我し、陸軍士官学校の成績も良くなかったアイゼンハワーは、自分の努力でアメリカ大統領まで昇り詰めた偉人です。
それはもう伝記が書かれるぐらい本当に立派な人物です。
しかしそんな彼も英雄色を好むというのか、未来の妻をストーカーのように強引に口説いたり、赴任先のイギリスで妻とは別の女性兵士と恋仲になったりと悪い話もあります。
逸話1
第34代アメリカ大統領のアイゼンハワーは24歳の頃、18歳のマミー(メイミー)という女性をデートにさそった。
しかし結果はかんばしくなく、一か月したら電話をくださいというものだった。
だがアイゼンハワーは一日後に電話をかけた。
しかもデートの約束が叶うまで15分おきに何度も何度も。
さて、電話を続ける諦めないアイゼンハワーに対して、マミー(メイミー)はついにOKした。
押しに弱かったようだ。
デートの約束を取り付けることに成功したアイゼンハワーが待ち合わせ場所に現れたのは、
約束より4時間早かった。
この男女がのちにアメリカ大統領と大統領夫人になった。
逸話2
第34代アメリカ大統領のアイゼンハワーは戦時中のある時期、イギリスに派遣されていた。
そこでアイゼンハワーは自分の車の運転手を務めていたイギリス人女性兵士と恋仲になった。
彼女は志願兵で名前をケイと言った。
この頃のアイゼンハワーは実は既婚者だった。
別の女性マミー(メイミー)と結婚していて子供もいた。
アイゼンハワー本人曰く、
「私は家で何か話をするとき、間違ってよく妻にケイと呼びかけてしまい、妻は激怒した」
参考文献。日本大百科全書。世界大百科事典。日本国語大辞典。国史大辞典。日本人名大辞典。日本大百科全書。他、図書館の多数の書籍。
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