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浅野長政の家紋は【丸に違い鷹の羽】です。
この記事では浅野長政の家紋を中心に解説していきます。
浅野長政の家紋の由来や意味
浅野長政の家紋には2枚の【鷹の羽】が描かれています。
この鷹の羽というのは鷲の羽と同様に、強さや勇気の象徴として使われています。
(余談ですが、鷹と鷲の違いは体の大きさのみで、ともにタカ目タカ科に属する鳥です)
また、西洋では不死の象徴ともされ、日本の家紋と同様に西洋の紋章にも頻繁に鷲の姿が用いられてきました。
さて、浅野長政の【丸に違い鷹の羽】の家紋ですが、鷹や鷲は強さや勇気の象徴と前述した通りの意味を持っています。
これはわかりやすくたとえると、鷹や鷲を家紋に用いることはすなわち、虎や龍などの勇ましい動物を家紋に用いているのと同じような感覚といえます。
しかし動物園も写真もない当時の人々にとっては、虎や龍よりも鷹や鷲の方が現実感があり、より身近な勇ましさの象徴でした。
そのため戦国時代の人々にとっては浅野長政の家紋はかなりかっこいい家紋といえました。
浅野長政の家紋が実際に使われた戦場
浅野長政は政治力に優れた武将と言われていますが、実際の戦場にも出向いて戦功を挙げています。
したがって浅野長政の出向いた戦場では浅野軍内で浅野家の家紋が描かれた旗がはためいていました。
空の王者の鷹の羽の家紋が実際にはためいた戦場は以下になります。
・江北(≒滋賀県北部)地域での戦い
・播磨(≒兵庫県) 地域での戦い
・賤ケ岳の戦い
・朝鮮出兵
・関ケ原の戦い(浅野幸長)
・大坂の陣(浅野長晟)
他にも、浅野長政が大好きだった囲碁などの【遊びの戦い】の場でも、もしかした家紋の入った品物が使われていたかもしれません。
その場合は、浅野長政のもっとも良き囲碁の対戦相手だった徳川家康も、家紋の入った品物を使って戦っていたことでしょう。
浅野長政の家紋を実際に使った子孫
浅野長政の家紋は当然ながら【浅野家】の家紋です。
そのため浅野長政の子孫も同じ家紋を使います。
忠臣蔵で有名な浅野内匠頭も分家とはいえ、れっきとした浅野長政の血を引き継いでいます。
また、宗家の浅野家の子孫は幕末まで広島藩の藩主として君臨し、浅野家の家紋を使用しています。
とはいえ、浅野家の家紋が最も敵に恐れられたのは戦国時代でした。
浅野長政の嫡男の浅野幸長は、小田原征伐や朝鮮出兵や関ケ原の戦いなどで戦功を立てた武断派として知られ、敵から恐れられていました。
また、この浅野幸長の娘の春姫は徳川家康の九男の徳川義直と結婚しているのですが、結婚式のような儀式の場でも【丸に違い鷹の羽】 の浅野家の家紋が使われています。
参考文献。日本大百科全書。世界大百科事典。日本国語大辞典。国史大辞典。日本人名大辞典。日本大百科全書。他、図書館の多数の書籍。
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