【どんな人?】ダヴィデとは? イスラエルのダヴィデ王の生涯(年表付き)

ダヴィデ イスラエルの歴史
ダヴィデ

ダヴィデの年表

年表
年表

(以下、年齢は数え年になります)

数え年とは

西暦出来事年齢(数え年)
紀元前1240年頃(推定)羊飼いの子供として現在のイスラエルで誕生。1歳(推定)
紀元前1030年頃(推定)予言者サムエルに次の王の証として聖油をそそがれる。11歳(推定)
紀元前1025年頃(推定)ペリシテ人との戦いで強敵ゴリアテを倒す。16歳(推定)
紀元前1020年頃(推定)サウル王に妬まれたことから、約10年の逃亡生活を開始する。21歳(推定)
紀元前1012年頃(推定)サウル王がペリシテ人との戦いで敗死したため、ダヴィデが後継者に選ばれる。29歳(推定)
紀元前1005年頃(推定)サウル王の息子のイシュ・ボシュトが暗殺され、ダヴィデがイスラエルの王となる。36歳(推定)
紀元前1003年頃(推定)エルサレムを占領してそこに新しい首都を築き、全イスラエルの王となる。38歳(推定)
紀元前990年頃(推定)既婚の他人の妻と不倫する。
不倫相手の夫を戦地に派遣して敵と戦わせ、必ず命を落とすように仕向ける。
51歳(推定)
紀元前970年頃(推定)周囲の反対を押し切って末子のソロモンを後継者に指名して病死する。
享年71歳(満年齢70歳)
71歳(推定)
ダヴィデの生涯の年表

ダヴィデとは?

ダヴィデとは旧約聖書にも出てくる、イスラエルを約40年間統治した王。(日本語でダヴィデはダビデと表記されることもある)

ダヴィデとは? どんな人か知るための流れ

どんな人
どんな人

ダヴィデはヘブライ人の英雄となった人です。以下が英雄になる流れです。

紀元前11世紀末頃、イスラエル人(ヘブライ人)に脅威が訪れる。

それはエジプトに追い払われたペリシテ人がイスラエルの地に向かってきたことだった。

脅威に際してイスラエルの12の部族は一つにまとまり、王を選ぶ。

王には体格が優れてたサウルという人物が予言者サムエルによってばれた。民はサウル王を歓喜して迎え入れた。

少年の頃のダヴィデはこのサウル王に小姓(昔、身分の高い人の側に仕えていた少年)として仕えていた。ダヴィデは竪琴の演奏が得意で、サウル王のうつ病を竪琴の音色で癒すために呼ばれたのがきっかけだった。

それからしばらくしたある日、予言者サムエルの留守中に、サウル王が神に禁じられていた生贄を捧げてしまう。

そこで予言者サムエルはサウル王とは断交し、11歳のダヴィデに次の王としての証である聖油を密かにそそいだ。

ダヴィデが16歳になった頃のある日、民衆にはまだ無名だったダヴィデが凄まじい武勲を上げて名声を得る。

その武勲とはペリシテ人の巨漢であるゴリアテをダヴィデが退治したことだった。

投石によりゴリアテを倒したことにより、士気や戦意を削がれた敵軍は戦場で敗走した。

ダヴィデの活躍をイスラエルの民衆は褒めたたえ、女性たちは「サウルは千の敵を討ち、ダヴィデは万の敵を討った」と褒めそやした。

女性たちのこの態度を見て、サウル王はダヴィデに激しく嫉妬した。

サウル王はダヴィデを危険な戦場に送ってペリシテ人と何度も戦わせたが、ダヴィデは死ななかった。

そこでサウル王はダヴィデにさらに危険な任務を与える。そしてその任務に成功したら自分の娘とダヴィデの結婚を許すと伝えた。

閲覧注意。

以下のダヴィデの逸話は下品で、趣味の悪いものになります。苦手な方や嫌いな方は読まないことをお勧めします。

サウル王は娘との結婚の条件として、敵であるペリシテ人兵士の金の玉を包む皮を100枚持ってくることが条件だとダヴィデに命令した。

多くの敵兵を倒して、さらにその敵兵の金の玉の皮をはぎ取ること自体が難易度の高い任務であったが、たとえそれに成功してもサウルはダヴィデに娘を与えるつもりはなかった。

だから皮の枚数は100枚と言ったがそれは罠だった。

普通は男性兵士一人あたりに金の玉は二つあり、皮はつながっているので一人当たり一枚だった。

しかしサウル王の言い分では、玉が二つなら包む皮も二枚だった。

つまりこれは、命令通りダヴィデが皮を100枚持ってきても、50枚分しかないじゃないか、といいがかりをつける作戦だった。

しかしこのことを見抜いていたダヴィデは皮を200枚もってきた。

この功績によりダヴィデはサウル王の娘と結婚した。

現代人からするとこの逸話は奇妙で、夫婦のなれそめ話としては最悪である。

サウル王の娘と結婚したものの、サウルはダヴィデを敵視し続けたため、ダヴィデは逃亡の旅に出た。

逃亡の旅の途中で偶然サウル王と出会うこともあり、命を奪う機会もあったが、ダヴィデは衣服を切り裂いただけで、サウルに害意がないことを示した。しかしサウルはダヴィデを受け入れなかった。

また、この旅の道中でダヴィデは何人もの妻を増やした。

ダヴィデが29歳のある日、サウル王はペリシテ人との戦いに敗れて死去した。(ギルボア山の戦い)

知らせを聞いたダヴィデは自分の衣服を裂いて泣いたという。

サウル王を失ったイスラエルの民衆は困り、新たな王を選出することにした。

ダヴィデが29歳の時に、支持者の多い地域で王に選ばれ聖油をそそがれる儀式を受ける。

イスラエルの残りの地域はサウル前王の息子のイシュ・ボシェトが統治した。

しかしイシュ・ボシュトは2年後に暗殺される。

長老たちはヘブロンに集まり、新しいイスラエルの王をダヴィデに決定した。

ダヴィデはペリシテ人と幾度も戦い勝利した。その結果イスラエル人の最大のライバルであったペリシテ人は力を失い衰退した。

ダヴィデは遷都して、城塞都市、シオン・イェルサレムをイスラエル王国の新首都とした。

その後ダヴィデはイスラエル史上、かつてないほど領土を広げ、中央集権化されて強力な国家を築き上げた。

しかしダヴィデにはマイナス面もあった。

女好きだったダヴィデはハーレムを作る。そして部下の妻(バト・シェバ)と不倫関係になり、妻の夫を激戦地に送り込んで戦死させた。そして妻も自分のハーレムに組み込んでしまった。

また、息子の一人のアブロサムに反乱を起こされ、イェルサレムを占領されてしまう。

この反乱は鎮圧されアブロサムは殺された。

死期が迫るとダヴィデは神の選択に頼らずに、長男のアドニヤを後継者には選ばなかった。

そして末っ子でバト・シェバとの間の子でもあるソロモンをイスラエル王国(ヘブライ王国)の次期国王に指名した。

ダヴィデの生涯には汚点もあるものの、これまでのユダヤ人の歴史と比較すると、最大の王国を築き上げ、ユダヤ人(イスラエル人)全体に大きな利益をもたらした人物となった。

ダヴィデの評価

評価
評価

聖書に記載されていることから、ダヴィデはキリスト教徒の文化圏の人々や、ユダヤ教を信じるユダヤ人たちに広く知られている人物。これらの文化圏の人々には英雄の一人とみなされていることが多い。

ダヴィデの生き方

生き方
生き方

・主君には一生懸命仕えた。

・強敵を相手にしてもおじけづかず、進んで戦う。

・女好き

・欲しいものは他人の妻でも手に入れる。

・敵になったら息子を相手にしても容赦しない。

・誰もなしえなかった強大な王国を築いた。

・イスラエルの人々には英雄として認められていた。

ダヴィデ王の生涯クイズに挑戦

ダヴィデ王の生涯クイズに挑戦してみましょう。

クイズ

ダヴィデが仕えた主君は?
ダヴィデ王の汚点は?
ダヴィデが統治した王国は?
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参考文献。日本大百科全書。世界大百科事典。日本国語大辞典。国史大辞典。日本人名大辞典。日本大百科全書。他、図書館の多数の書籍。

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