途中で【腕試しクイズ】も用意しています。どうぞ最後までお楽しみください。
- 名言第11位。桶狭間の戦い敗北の原因。ワーストな名言。
- 名言第10位。同じく桶狭間の戦い前の名言。兄へのセリフ。
- 名言第9位。今川義元は戦国時代を生きた武将だった。それが伝わってくる名言。
- 名言第8位。部下を褒めて許す今川義元。
- 名言第7位。北条氏に対する名言。素直な本音。
- 名言第6位。自信満々のときの名言。根拠に基づく自信。
- 名言第5位。今川義元の詠んだ和歌。情景美の名言。
- 名言第4位。徳川家康を自由にさせない。戦国大名らしい名言。
- 名言第3位。息子の今川氏真に対する名言。今川義元の親心。
- 名言第2位。忠告が届かない皮肉。未来を的中させた名言。
- 名言第1位。今川義元の人生観。極上の名言。
- 今川義元名言クイズに挑戦
名言第11位。桶狭間の戦い敗北の原因。ワーストな名言。
これは桶狭間の戦いの前哨戦で勝利したときの今川義元の名言です。
つまり、勝利の名言です。
今川義元は天満鬼神が相手だろうと自分が勝てると有頂天になっています。
この名言を残したとき、今川義元の陣営では酒まで振舞われていました。
しかしこの油断が原因で今川義元は桶狭間の戦いで命を落とすことになります。
結果的にこの名言は今川義元史上最悪の名言となってしまいました。
名言第11位(ワースト)。「義元の矛先には天満鬼神の忍るべからず」
名言第10位。同じく桶狭間の戦い前の名言。兄へのセリフ。
「そなたは我が敵だ。敵の言うことは聞けぬ」
これは今川義元が兄に言った名言です。
桶狭間に向かう途中、かつて今川家の家督をめぐって争った異母兄の玄光が今川義元の夢の中に出てきます。
亡き兄玄光は今川義元に伝えます。
「このたびの出陣はやめよ」
しかし今川義元は
「そなたは我が敵だ。敵のいうことは聞けぬ」
と忠告を無視します。
後世の結果論では、今川家の行く末を心配した兄の忠告は聞くべきだったということになります。
名言第10位。 「そなたは我が敵だ。敵の言うことは聞けぬ」
名言第9位。今川義元は戦国時代を生きた武将だった。それが伝わってくる名言。
「斥候は敵の様子をうかがって早く立ち去るべきである。功をむさぼって戦うとは何事か」
これはある合戦の前に今川義元が部下の偵察係の兵士に言った名言です。
この斥候は自分の仕事は偵察であるにもかかわらず敵と戦い、倒してその首を自陣に持ち帰ってしまいました。
勝ったからよかったものの、もし負けていたら今川軍には偵察で得た敵軍の情報が持ち帰られずに情報面で不利を強いられるところでした。
だから斥候というのは敵と遭遇すると【情報を持ち帰るために】戦わずに一目散に逃げるものです。
決まりを破った部下を叱った今川義元のこの名言は、今川義元が一国の大将として戦に臨む資質をしっかりと備えていたことを示しています。
名言第9位。
「斥候は敵の様子をうかがって早く立ち去るべきである。功をむさぼって戦うとは何事か」
名言第8位。部下を褒めて許す今川義元。
「軍法会議を前という瀬戸際に家隆の歌を口ずさむとは見事よ」
前述(第9位)の軍規を破った斥候を今川義元許したときのセリフです。
偵察役は戦ってはならないにもかかわらず戦った彼は、軍事法廷のようなところで裁かれようとしていました。
そんな状況の中で被告の斥候兵は「刈萱に身にしむ色はなけれども 見て捨てがたき霧の下折れ」
と『新古今和歌集』の編者で有名な藤原家隆の和歌を低い声で口ずさみました。
その話を部下から聞いた今川義元は、
「軍法会議を前という瀬戸際に家隆の歌を口ずさむとは見事よ」
という名言とともに斥候兵を許しました。
この名言は今川義元が度量と教養を備えていることを示しています。
もしこの斥候の大将が織田信長なら斥候は軍規を破った時点で即殺されたかもしれません。
あるいは織田信長ならば敵の首を打ち取り情報を持ち帰った【結果】を褒めて最初からおとがめなしだったかもしれません。
織田信長と比較すると、和歌を聞いて許すという対応からは今川義元らしさが感じられます。
名言第8位。「軍法会議を前という瀬戸際に家隆の歌を口ずさむとは見事よ」
名言第7位。北条氏に対する名言。素直な本音。
「迷惑」
そもそも今川氏と北条氏の関係はもともと良好でした。
しかし今川義元が武田信虎の娘と結婚して同盟を結ぶと、武田氏と敵対していた北条氏が怒ります。
そして北条氏と今川氏との関係が悪化します。
これによりたびたび北条氏が今川氏へと攻め込むようになります。(河東一乱)
北条氏綱に攻められた今川方の領地は北条方に少し奪われます。
しかし同盟者の武田軍が援軍に来て今度は北条方の小城を攻め落とします。
そこで一応停戦になります。
しかし北条軍に停戦を反故にする動きがあります。そこへ武田軍が牽制したので北条軍はようやく停戦を守って引き上げていきました。
このときの北条氏に向けられた今川義元の名言が「迷惑」です。
北条氏が迷惑だという今川義元の素直な本音がうかがえる名言です。
名言第7位。「迷惑」
名言第6位。自信満々のときの名言。根拠に基づく自信。
「只今 はをしなべて自分の力量を以 て国の法度を申付」
これは今川義元が『今川仮名目録』に追加条項を加えて発布したときの名言で自信に満ち溢れたセリフとなっています。
実際にこの自信は根拠に基づく自信でした。
今までの領国経営で国を豊かにしてきたことや、家督相続後の不安定な状況から安定した今川家の状況に自分の努力でもたらしたことなどが今川義元に自信を与えていました。
軍事・経済面で順調で、さらに内政を整えて安定させようというときの今川義元の名言でした。
名言第6位。「只今はをしなべて自分の力量を以て国の法度を申付」
名言第5位。今川義元の詠んだ和歌。情景美の名言。
入日さす遠山桜ひとむらは 暮るるともなき花の蔭かな
現代語訳。
入日に映える遠山の桜その一群だけは、なお暮れることもない花の蔭であるよ。
(現在の静岡県の)遠い山に見えた桜の情景を詠んだ和歌でしょうか。
入日というのは沈もうとする太陽・夕日のことです。
落日の時間帯の遠い山の桜の一群の美しさを今川義元は詠んでいます。
教養に富んではいますが、少なくとも桜を美しいと感じる感性は現代の日本人と同じようです。
今川義元の支配地域は、現在の静岡県よりもはるかに広大で、たとえば静岡県知事でさえこの戦国大名に親近感を感じることは難しいかもしれません。
しかし彼の和歌を通じて現代の普通の日本人でも、今川義元に共感や親近感を持つことができます。
それは、桜を美しいと思う心が共通しているからです。
今回の名言は時代や身分を超えられる美しい和歌の名言でした。
名言第6位。「入日さす遠山桜ひとむらは 暮るるともなき花の蔭かな」
名言第4位。徳川家康を自由にさせない。戦国大名らしい名言。
「まだ時期尚早」
これは17歳の徳川家康が初陣で敵の城(本城寺部城)を落とすといった戦功をあげたあとの名言です。
当時松平元信(徳川家康)は元服を最近済ませたものの、まだ半分人質として今川家の駿府で暮らしていました。
そこで松平元信(徳川家康)の家臣たちが初陣の戦功をもって主君を岡崎城に帰して欲しいと頼みます。
しかし今川義元は松平元信に褒賞として三百貫文分の土地と腰刀を贈ったものの、岡崎城への帰城は認めませんでした。
そして今川軍の岡崎城駐留は続きます。
この名言は今川義元の戦国武将としてのしたたかさを示しています。
それと同時に『時期尚早』ということは将来的には松平元信を岡崎城に帰すつもりだったことも伝わってきます。
今川義元は自分の姪を松平元信に嫁がせ、将来的には今川家の一門として松平元信をがっちりと組み込みたかったようです。
今川義元の徳川家康への扱い方がわかる名言です。
名言第4位。「まだ時期尚早」
名言第3位。息子の今川氏真に対する名言。今川義元の親心。
「そなたは成長したが童心のままである」
これは嫡男の今川氏真に向けられた名言です。
成人したにもかかわらず闘鶏・ドッグレース・蹴鞠などにうつつを抜かしていた息子で嫡男の今川氏真を戒めています。
今川義元自身は苦労人なので(五男から争いを経て家督相続。北条氏・松平氏・戸田氏・織田氏との抗争を経験)お坊ちゃまの今川氏真を心配していました。
今川氏真は今川氏の全盛期に生まれ、母は武田信玄の姉、妻は北条氏康の娘。父は海道一の弓取りといわれた今川義元です。
そのため父とは違いまったく苦労を知りません。これを叱った今川義元の名言からは父の威厳と子供の将来を心配する優しさが感じられます。
名言第3位。「そなたは成長したが童心のままである」
名言第2位。忠告が届かない皮肉。未来を的中させた名言。
「第一になすべき文武を二つながらなおざりにしている。これを改めねば国は滅亡するであろう」
これも今川義元の親心の詰まった名言になります。
もちろんこの名言を聞かされているのは嫡男の今川氏真です。
父である今川義元も和歌や蹴鞠をたしなんでいましたが、文武をおろそかにはしていませんでした。
一方で息子の今川氏真は文武をなおざりにして遊んでいました。
今川義元はだめ息子と国の未来を憂いてました。
【これを改めねば国は滅亡するであろう】
この名言は、皮肉にも未来を的中させた凄い名言になってしまいます。
名言第2位。
「第一になすべき文武を二つながらなおざりにしている。これを改めねば国は滅亡するであろう」
名言第1位。今川義元の人生観。極上の名言。
「昨日なし明日またしらぬ
人はただ今日のうちこそ命なりけれ」
第1位の名言は【戦国武将】今川義元が自らの人生観を詠んだ和歌になります。
現代語訳。
昨日のことはもう戻らない。明日のことは何もわからない。人というものは今日一日のために尽くす命が全てなのだ。
《秀雅百人一首》に入撰
名言第1位。
「昨日なし明日またしらぬ人はただ今日のうちこそ命なりけれ」
参考文献。信長公記。日本大百科全書。国史大辞典。名将言行録。当代記。獄南史。桶狭間合戦史。他。
「義元の矛先には天満鬼神の忍るべからず」