朝倉義景の逸話動画
朝倉義景が切腹するまでの流れの逸話
戦国武将の朝倉義景は織田信長と敵対していた。
織田信長は強かった。
でも朝倉義景にはたくさんの味方がいた。(浅井氏・毛利氏・本願寺など)
ある時期、みんなで力を合わせて、各地で織田信長と戦っていたら、
朝倉義景はたいして戦わずに、途中で帰ってしまった。
朝倉義景が頑張っていれば勝てた可能性が高かった。
その後、織田信長はさらに強くなり、朝倉義景を攻撃した。
朝倉義景は惨敗した。
敗走して城に逃げ帰った頃には、家臣は10人ほどしかいなかった。
さらに家臣にも裏切られ、切腹した。
朝倉義景の失敗からわかる教訓
やるべきときにやるべきことをしなければならない。
チャンスを逃せば、最悪の結果となって後で自分の身に帰ってくることがある。
朝倉義景は、チャンスを逃さず織田信長を倒すべきだった。
しかし誰もかれもが織田信長を倒せばよいというものでもない。
織田信長を倒した明智光秀の末路は滅亡だった。
【やるべきとき】と【やるべきこと】を見極めることは人間にとって難しいことだ。
だからこの教訓は生かし難いかもしれない。
ただし、学生が勉強をしなけらばならないことは単純明快な【やるべきこと】なので、
若い方は遊ぶ前に宿題をしよう。
参考文献。日本大百科全書。世界大百科事典。日本国語大辞典。国史大辞典。日本人名大辞典。日本大百科全書。他、図書館の多数の書籍。
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