【わかりやすく】ファラオ・ラムセス2世の代表的な妻と子供たちを解説

ラムセス2世 ラムセス2世
ラムセス2世
【転生JKが語る!】ラムセス2世だった私が、自分の人生をざっくり解説してみた件
こんにちは!都内のごく普通の高校に通う、歴女系JKのラムちゃんです☆マジな話、前世、私は古代エジプトのファラオ――ラムセス2世でした。「は?お前が建てた神殿、何個あると思ってんの?」って自分でもツッコみたいくらい、めっちゃ働いてたんですけど...

まずはラムセス2世の妻たちからご紹介します。


1. ネフェルタリ・メリト・エンムート(Nefertari Meryt-en-Mut)

「愛されし者、ムト女神の友」という名を持つ、ラムセス2世の第一王妃

特徴:

  • ラムセスの最愛の王妃とされる。
  • 王妃としての権威が高く、政治的・宗教的にも重要な役割を果たした。
  • アブ・シンベル神殿には彼女のための小神殿が建てられている(主神は女神ハトホル)。
  • **美しい墓(QV66)**が王妃の谷にあり、「古代エジプト最高傑作」とも言われるほどの壁画が残る。
  • 死後もラムセスは深い愛情を注ぎ、神殿や碑文に彼女の名を多数刻ませた。

墓碑銘の一節(現代語訳):

「太陽が昇るのは、ネフェルタリのためである」
「私の心は彼女に属し、彼女のために生きる」


2. イシス・ネフェルト(Isetnofret)

**「美しきイシス」**という意味の名を持つ、第二の王妃。

特徴:

  • ネフェルタリ亡き後、実質的な第一王妃として活動。
  • 多くの王子・王女の母であり、中でも息子メルエンプタハ(第13王子)は後にラムセスの跡を継ぎ王となった。
  • 息子のメルエンプタハが即位したことから、王統における影響力は極めて大きい

3. 妻であり娘でもある女性たち

ラムセス2世は、当時の王族間の慣習として、自分の実の娘たちを妻とすることもあったとされています。

  • 代表的な例:
    • ベンタアナト(Bintanath):娘であり、後に「王の大王妃」に任じられた。
    • メリトアメン(Meritamen):同じく娘であり、女王としての称号も持つ。

このような婚姻は、血統の「純潔性」と神格性を保つためのもので、古代エジプト王族に特有の伝統です(※現代の倫理とは異なります)。


4. 外交的な妻たち(外国の王女)

ラムセス2世は、ヒッタイト帝国との和平条約締結後、ヒッタイト王女と結婚しています。

  • 名前はマアトホルネフェルウレ(Maat-hor-neferu-re)とされる。
  • これは外交的な友好関係を示すための政略結婚であり、当時としては極めて重要な政治的意味を持ちました。

妻の人数はどのくらい?

正確な人数は分かりませんが、記録されているだけでも十数人以上とされ、非公式には100人以上の子を持ったという記録もあります。これは王妃以外にも側室や侍女との間に生まれた子も含まれていると考えられます。


妻たちの役割と影響力

  • 宗教行事への参加(特にネフェルタリ)
  • 王子・王女の養育と教育
  • 王の補佐、外交、儀礼的な役割
  • 神殿や碑文への登場など、「ファラオの神格性」を支える存在

まとめ:ラムセス2世とその妻たち

名前役割備考
ネフェルタリ第一王妃愛情深く、アブ・シンベル小神殿の主
イシス・ネフェルト第二王妃メルエンプタハの母、王位継承に影響大
ベンタアナト娘であり王妃王家の血統を保つための婚姻
マアトホルネフェルウレ外交的な妻ヒッタイト王女、平和条約の象徴

ラムセス2世の主な子供たち


ラムセス2世には100人以上の子ども(男子50人以上、女子50人以上)がいたとされ、王妃たちとの間に生まれた多くの王子・王女が王宮内外で重要な役割を果たしました。
その後の彼らの人生は、王族として華々しい者から、記録にほとんど残っていない者まで様々です。以下に、代表的な子どもたちについてご紹介します。


1. メルエンプタハ(Merneptah)

→ 第13王子にしてラムセス2世の後継者。ファラオに即位。

  • ラムセス2世が90歳近くまで在位したため、前に生まれた王子たちは次々と亡くなり、13番目の王子だったメルエンプタハが最終的に王位継承。
  • ファラオとして在位:約10年(紀元前1213年頃〜1203年頃)。
  • 主な功績:リビア人や「海の民」との戦いに勝利
  • 有名な「メルエンプタハの石碑」では、「イスラエルは滅びた」との記述があり、聖書考古学上も重要人物

2. カエムワセト(Khaemwaset)

→ 考古学者系王子。「古代エジプト初の保存修復家」とも言われる。

  • ラムセスの第4王子。神官としても活動し、死者の祭儀や神殿修復、古墳の再建に力を注いだ。
  • ピラミッド時代の王の墓を自ら調査・修復したという記録があり、現代でも高く評価されている。
  • 死後、「聖なる学者王子」として伝説化され、グレコ=ローマ時代の文学にも登場。

3. パレヘルウェネメフ(Pareherwenemef)

→ 軍事系王子。カデシュの戦いにも参加。

  • ラムセスの初期の王子のひとり。カデシュ戦記の碑文に登場
  • ラムセスの軍を率いて戦った記録があるが、若くして死亡したとみられる。
  • 墓が発見されており、王子としての高い地位がうかがえる。

4. ベンタアナト(Bintanath)≪※既出≫

→ 長女であり、王妃にもなった女性。(前述)

  • ラムセスの娘でありながら、「王妃(大王妃)」としての称号を持つ
  • これは当時の王族の血統維持の慣習によるもので、宗教的・政治的に正当化されていた。
  • 王の晩年には特に高い地位にあり、神殿の壁画などにも多数登場。

5. メリトアメン(Meritamen)≪※既出≫

→ ネフェルタリの娘。神殿や彫像に描かれる重要王女。

  • 美貌と神聖性が評価され、神殿の奉納記録や像にも登場。
  • ネフェルタリの死後、**母の役割を継いだ「象徴的な王妃」**のような存在として扱われた。
  • 墓も造られていたが、現在では正確な場所は特定されていない。

その他の王子・王女たちの運命は?

  • 多くの子どもたちは早世したとみられます(ラムセス2世の在位が長すぎたため)。
  • 王子の多くは「副王」「軍司令官」「神官」などの職に就いていました。
  • 王女たちは神殿に仕えたり、地方の高位官と政略結婚させられたりもしました。
  • しかし、記録に残るのはほんの一部で、多くの子の名前は碑文のリストにのみ登場する程度です。

ファラオの子どもをめぐる「王位継承の難しさ」

  • ラムセス2世の長寿により、有力王子たちが先に亡くなり続けたという現象が起きました。
  • 王位継承をめぐる記録が曖昧になり、彼の死後に王統がやや不安定化したとも指摘されています。
  • それでもメルエンプタハがしっかり王位を継承できたのは、母イシス・ネフェルトの政治的力とも考えられています。

まとめ

名前立場その後の運命
メルエンプタハ第13王子ファラオに即位。「海の民」と戦う。
カエムワセト第4王子墓修復や学術的活動で評価。
パレヘルウェネメフ王子軍事参加。若くして死去か。
ベンタアナト長女王妃に昇格。神殿でも描写。
メリトアメン王女宗教的・象徴的王妃的役割。

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