【深い】清少納言の詠んだ百人一首62番。現代語訳と背景。清少納言の百人一首の鑑賞と和歌の解説。

清少納言 百人一首 清少納言
清少納言 百人一首
れふかん編集委員
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途中で【腕試しクイズ】と【清少納言の百人一首クイズ】の2種類のクイズを用意しています。どうぞ最後までお楽しみください。

清少納言とは?

清少納言
清少納言 イメージ

清少納言は平安時代の女性で中宮定子に仕えました。また随筆【枕草子】を書いたことで清少納言の名声は高まります。

平安時代以降に記されたどの時代の文献にも『清少納言』と『枕草子』のことに言及された文献が存在します。

鎌倉時代・南北朝時代・室町時代・戦国時代・安土桃山時代・江戸時代・明治時代・大正時代・昭和ー平成ー令和にまで清少納言の名前と枕草子の内容は引き継がれました。

ただし清少納言の本名は今なお不明です。

清少納言は百人一首62番に『夜をこめて鳥のそら音をはかるともよに逢坂の関はゆるさじ』という和歌を残していて、彼女の父と曾祖父もまた百人一首に和歌を残しています。

清少納言は和歌に優れた家系の生まれでした。

百人一首とは?

百人一首
百人一首

百人一首とは藤原定家(鎌倉時代初期の公家・歌人)が選んだ和歌集です。

百人一首の一番古い和歌は天智天皇が飛鳥時代に詠んだ和歌で、一番新しい和歌は鎌倉時代に藤原為家が詠んだ和歌です。

百人一首では一人が二首も三首も入撰することはなく、百人による百首を和歌集にするというコンセプトで作られています。

百人一首に選ばれた歌人たちは皆非常に優れた歌人たちでした。清少納言もその一人であり62番に入撰、ライバルといわれることのある紫式部も57番に入撰しています。

清少納言の詠んだ百人一首について。

をこめて とりのそらは はかるとも よに逢坂あふさかの せきはゆるさじ

百人一首:62番

作者  :清少納言

文法。

【を:格助詞】【こめ:下二段活用・連用形】【て:接助詞】【の:格助詞】【は:係助詞】

【はかる:四段活用・終止形】【とも:接続助詞】【よに:副詞】(よに+打消し=決して~ないだろう)

【は:係助詞】【ゆるさ:四段活用・未然形】【じ:打消し意思・終止形】

格助こめ下二・用接助 鳥格助そら音係助 はかる四・止とも接助 よに逢坂の 関係助ゆるさ四・未打意・止

この和歌は平安時代に清少納言が藤原行成に向けて詠んだ和歌です。

この先でこの百人一首の意味や背景の解説を順番に行っていきます。

清少納言の百人一首の現代語訳

現代語訳

夜をこめて 鳥のそらねを はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

夜の明けないうちに、鳥の鳴き声を真似て、だまそうとしても、(中国の函谷関かんこくかんならともかく)あなたと私が逢うためのこの逢坂おふさかの関所は、決して通ることを許さないでしょう。

この百人一首は現代語訳のみでは理解しにくく、背景知識を知ることでより深く味わえるようになります。

現代語訳の次は清少納言がこの百人一首の和歌を詠んだ背景に迫ります。

清少納言が百人一首の和歌を詠んだ背景と意味

ある晩、清少納言は書の名手、藤原行成ふじわらのゆきなりと二人で会話をしていました。しかし会話の途中で藤原行成は宮中の物忌みを口実に急いで帰ってしまいます。

そして翌朝の早朝清少納言の元に藤原行成から謝罪と言い訳の手紙が届きます。

「(昨日は朝を告げる)鳥が鳴いたから帰ったのです

これに対して清少納言は聡明な手紙を送り返します。

「夜深くに鳴く鳥とは(中国の故事の)函谷関で鳴く鳥のことですか?」

背景。

平安時代では漢学は男性の学ぶもので女性の学ぶものではないとされていました。

しかし清少納言は女性であるにも関わらず漢学の知識が豊富でした。

この百人一首の和歌に詠まれている中国の歴史書『史記』に記載されている故事もその漢学の知識の一つで、内容は以下のようなものでした。

中国の戦国時代、斉という国の孟嘗君もうしょうくんという人物は、秦という国で捕らえられて殺されそうになったところをなんとか逃げ出した。

夜中に函谷関という秦の関所にたどり着くが門が閉まっていて通行することができない。

斉に逃げ帰るためには追っ手が来る前にこの関所を通る必要がある。

そこで孟嘗君は部下ににわとりの鳴き声の真似をさせた。

「コケコッコー」

すると付近の鶏たちも一斉に鳴いた。

「コケコッコー」

朝を告げる鳴き声にだまされた門番は、夜であるにもかかわらず朝が来たと思い込み門を開けたので、孟嘗君は無事に函谷関を通過することができた。

清少納言の百人一首の鑑賞と解説。

鳥

会話の途中に帰った謝罪として藤原行成は清少納言に「(朝を告げる)鳥が鳴いたから帰ったのです」と言い訳したところ、清少納言は「夜深くに鳴く鳥とは函谷関で鳴く鳥のことですか?」

と冴えた返答をしました。

つまり、かなり知的で遠回しな「嘘おっしゃい」という意味の返事を清少納言は藤原行成に返したのです。

清少納言の教養深い返答に感心した藤原行成は、あろうことか調子に乗ります。

さらに言い訳の返事を清少納言に送ります。

「(鳥が鳴いたのは函谷関の関所ではなく)男女の仲を結ぶという逢坂の関所です」

≒【鳥が鳴いたせいであなたと男女の仲を結ぶことができませんでした】という意味になります。

これに怒った清少納言がピシャリと送った和歌が、百人一首の62番に選ばれた和歌になります。

夜をこめて鳥のそらねをはかるともよに逢坂の関はゆるさじ

夜の明けないうちに鳥の鳴き声を真似てだまそうとしても、(中国の函谷関かんこくかんならともかく)あなたと私が逢うためのこの逢坂の関所は、決して通ることを許さないでしょう。

清少納言の百人一首クイズに挑戦

清少納言の百人一首クイズに挑戦してみましょう。

クイズ

百人一首に入撰した和歌は、元々清少納言が誰に送った和歌?
清少納言が知っていた孟嘗君と函谷関の故事では、何の鳥の鳴き声で門番をだました?
百人一首の和歌で清少納言は相手に何を伝えた?
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参考文献。後拾遺集。日本大百科全書。他。

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