途中で【腕試しクイズ】と【清少納言性格クイズ】の2種類のクイズを用意しています。どうぞ最後までお楽しみください。
枕草子から読み解ける清少納言の性格
清少納言は西暦966年に生まれました。
すなわち清少納言は私たちの生きる現代から1000年以上も前に生きていた人間です。
しかし千年以上前の人物だろうと、その人が現代に文献を残している場合、その文献からその人物の性格を知ることができます。
清少納言の場合は現代に『枕草子』という有名な文献を残しています。
清少納言は本名を示す文献が残っていないので名前はわかっていませんが、枕草子が残っているおかげでその性格は知る事ができます。
枕草子から、千年前に実際に生きていた清少納言の3つの性格を読み解いていきましょう。
性格1。清少納言の慎重な性格。
枕草子の百二段『如月のつごもりごろに』から清少納言の慎重な性格をうかがい知ることができます。
この段の枕草子のストーリーは以下のようになっています。
平安時代の二月末のある日、清少納言の元に公任の宰相から手紙が届きます。
手紙には和歌の『下の句』が書いてありました。
この手紙は、当代随一の歌人である公任の宰相が、清少納言に和歌の『上の句』を考えるように要求するものでした。
ここで清少納言の慎重な性格が表れます。
清少納言はすぐに返事の手紙を書きません。
まずは自分の主である、中宮定子に慎重に相談しようとします。
しかし定子は一条天皇とともに休んでいたため相談することができませんでした。
この後結局、清少納言は何とか自力で素晴らしい和歌を詠んで相手に賞賛されるのですが、このエピソードからは『清少納言は性急に和歌を送るタイプではない』むしろ『悩んでじっくり和歌を考える慎重なタイプである』ことがわかります。
性格2。男性とやり合える性格。
枕草子の七十八段『頭の中将すずろなる』から清少納言の男性とやり合える性格をうかがい知ることができます。
この段の枕草子のストーリーは以下のようになっています。
平安時代のある時期、清少納言は頭の中将藤原斉信という親交のあった男性貴族と絶交をします。
絶交の原因は、藤原斉信が清少納言をけなす根拠のない悪口を殿上人の詰め所でいいふらしていることを清少納言が知ったからでした。
絶交状態のある日、雨が降っていて清少納言が退屈に過ごしていました。
そこへ他の人が藤原斉信が「清少納言と絶交していては物足りない」と言っていたよという話を清少納言に教えてくれます。
清少納言はしかし、藤原斉信がそんなことを思っているなんて嘘だろうと思うだけでした。
(このとき実は、藤原斉信は清少納言と絶交したままでは寂しいと思っていましたが、清少納言の方から何も言ってこないことに腹を立ててもいました)
そうです。清少納言は男性貴族に屈することなく完全に無視を決め込んでいました。
夜になると清少納言は女性の同僚たちとおしゃべりをしていました。そこへ使いの者が来て藤原斉信からの手紙が届けられます。
清少納言は使いの者を帰らせると、手紙を無視して同僚とのおしゃべりを続けます。
しかし再び使いの者がやってきて「返事がもらえないなら手紙を返してください」と要求されます。
仕方なく清少納言は手紙を読みます。
手紙には和歌の上の句が書かれていて『下の句』を書くように要求するものでした。
清少納言は見事な和歌の下の句を送り返します。
するとその和歌は他の男性貴族たちの間でも評判になります。そして清少納言と藤原斉信との仲直りも成立します。
清少納言は、清少納言の方から何も言ってこないので腹を立てていた男性貴族との関係を、見事に和歌一つで片づけました。
清少納言が男性とやり合える性格である例は枕草子以外にもあり、清少納言は百人一首に選ばれた和歌でも男性貴族と対等以上のやり取りをしています。
性格3。一番になりたがる性格。
枕草子の九十七段『御かたがた、君達』から清少納言の一番になりたがる性格がうかがい知れます。
そこには清少納言の思いが書かれています。
「人に第一に愛されるのでないのならば、愛される甲斐もない。第一に愛されないのなら、かえって憎まれて酷い目に遭うほうがましだ」
いささか極端な考えともいえますが、これは清少納言の一番になりたがる性格を表しています。清少納言は二番や三番で満足するようなタイプの人間ではありませんでした。
清少納言の性格と人柄まとめ
現代人にも『怒りっぽいけど優しい時もある人』『せっかちだけど細かいことにも気づく人』『気が強いというわけではないのに勇気がある人』など様々な人がいるように、人間の性格は単純ではありません。
平安時代に生きていた清少納言も私たちと同じ人間なので、彼女の性格はこうだ! と言い切れるほど単純ではありません。複雑です。
それでも敢えて清少納言の性格の『傾向』を一言でまとめて表すならば、清少納言の性格は【頭の賢い女性らしい性格】といえます。
もちろん【頭の賢い女性】がすべて清少納言のようというわけではありません。
ただ、清少納言は頭が賢いからこそ、慎重でしたし、現代とは異なる男尊女卑の世界の平安時代においても和歌で男性とやり合えましたし、一番になりたいという願望を違和感なく抱くことができました。
清少納言は自身の内側からあふれでる才能を枕草子に残し、現代へと伝えました。
とはいえこの【頭の賢い女性らしい性格】というのも清少納言に対して完全にはしっくりきません。
清少納言研究を行えば行うほど、やがて清少納言の性格は【清少納言らしい性格】だと感じるようになります。これは現代人が身近な友人の性格を【○○さんらしい性格】と感じるのと非常に似た感覚となっています。
れふかんをいつも読んでくださりありがとうございます。
参考文献。日本大百科全書。日本国語大辞典。国史大辞典。日本人名大辞典。他。
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