📰『尾張日報 特別号』永禄3年(1560年)6月12日発行
🏯【速報】織田信長公、大軍今川義元を討ち取る!
桶狭間にて歴史的勝利 「熱田の神が我を導いた」
【桶狭間発】
本日未明、織田家家中より一報が届いた。「今川義元、討死」――その報が広まるや、尾張中に歓喜の声が響いた。
駆けつけた記者が、戦場の余韻冷めやらぬ桶狭間にて、汗と血に塗れた若き将――織田信長公(数え年27歳)に直接話を聞くことができた。以下はその模様である。
◆信長公インタビュー
――まずは、勝利の感想を。
「正直、奇跡のようだ。だが奇跡を呼び寄せたのは、熱田の神々、そして我が兵たちの胆力よ。」
――今川軍、二万五千。織田軍、わずか三千。なぜ戦う決断を?
「逃げる選択肢などなかった。我が尾張を焼かせるわけにはいかぬ。三河の獅子(義元)とて、人の子。首ひとつを取れば、軍は崩れると踏んだ。」
――義元の首級を確認されたときの気持ちは?
「……冷たかったよ。彼の首が。だが、その重みは尾張の未来の重さだった。」
――戦の最中、何を思っていたのですか?
「風が吹いていた。雷鳴も走った。あの一瞬、天が味方してくれると感じた。兵を率いて斜面を駆け下りた時……胸の奥が燃えるようだった。生きていた、と思った。」
――これからの展望は?
「まだ始まったばかりだ。だがこの戦は、ただの勝利ではない。天下の形が変わる――その端緒となる。」
◆民衆の声も続々と!
尾張・熱田神宮前にて、喜びに沸く町人や農民に聞いた。
- 「お館様が勝った!? 義元様を!? うちの田んぼは焼かれずに済んだ……ありがてえ……(農夫・32歳)」
- 「織田様は“うつけ”などと言われたが、あれは間違いだよ。やっぱり只者じゃなかった!(町人・29歳)」
- 「まさか、あの今川様が……夢でも見ているようだ……(老女・68歳)」
◆記者後記
織田信長――彼の双眸は、炎のように燃えていた。
義元の首を前にしても、彼は笑わなかった。
しかし、その手には確かに「天下布武」の種が握られていた。
風は変わった。
戦国の空気が、尾張の山々の上で新たに震え始めた――。
(*当ブログ【歴史ファンの玄関:れふかん】は、各時代に発行された新聞記事をそのままお届けしているかのような、他では味わえない、臨場感あふれる歴史提供を持ち味にしています)