【地味な勝利】織田信長の初陣。敵や勝敗から評価までわかりやすく解説。

初陣 イメージ 織田信長
初陣 イメージ
れふかん編集委員
れふかん編集委員

当ブログ【れふかん】では歴史のエンタメ性を重視しています。

歴史をその時代の関係者による解説で楽しむことができます。

また、途中に用意された『腕試しクイズ』も歴史のエンタメ性を高めています。

今回は尾張国(≒愛知県の西半分。信長の出身地)の足軽からの解説になります。

織田信長の初陣の背景

初めまして。私は尾張国の足軽です。

足軽
足軽

織田信長様のことなら何でも知っています。

これから私が織田信長様の初陣についての解説を務めさせていただきます。

解説するにあたり簡略化のため貴人に対する【敬称】は省略させていただきます。

さて、我々の時代は織田信長のように武家に生まれた人間は成人するまで戦場に出ることがありませんでした。

吉法師という幼名だった織田信長も、13歳で成人してようやく【初陣】を飾ることができました。

13歳で成人した織田信長は、14歳で家老の平手政秀とともに三河方面に初陣果たしました。

つまり初陣の背景は【成人した儀式のため】【三河に敵がいたから】の2つになります。

初陣の背景に何か劇的なものがあったわけではありません。敵の方から織田家の領地に攻めてきたわけでもありません。

ただ戦う相手がいたので、丁度良い機会をとらえて織田信長は初陣を果たしたのです。

織田信長の初陣の敵は誰だったのか?

戦い
戦い

私たち足軽は織田信長に率いられて松平家の配下の武将と戦いました。敵の中に今川義元の援軍の兵が混ざっていた可能性もあります。

しかし直接戦った私たちの意見ではその可能性は低かっただろうと考えています。

とはいえ確かなことは残念ながら判明していません。

繰り返しになりますが、織田信長は松平広忠(徳川家康の父)の配下の武将と戦いました。

そしてこの戦闘は極めて小規模なものでした。

とにかく、私たちは敵と戦いました。このときの織田信長の衣装は素敵なものでした。

織田信長の筆頭家老の平手政秀が織田家の嫡男にふさわしい初陣の衣装を用意したのです。馬にまで鎧が着せられました。

吉法師と呼ばれていた幼い頃から初陣を待ちに待っていたので、織田信長はこの初陣を喜んでいました。

この初陣は吉良大浜の戦いと呼ばれています。

織田信長は初陣で何をしたのか?

尾張 美濃 三河 地図
尾張 美濃 三河 地図

私たち足軽は織田信長の指令を受けて三河の吉良のあちこちに放火しました。

つまり織田信長は司令官として放火の指揮を執ったのです。また、織田信長本人も放火を行い敵の領土も家屋を炎上させました。

炎上
炎上

放火に怒った敵軍が織田軍に襲い掛かってきていればそれらしい、しっかりとした戦闘が行えたかもしれません。

しかし敵軍は織田軍に負けることを恐れて挑発には乗りませんでした。

結局大きな戦果をあげることはありませんでしたが、味方が被害を受けることなく敵の家屋にダメージを与えることができたため、織田信長の初陣は成功したといえます。

ただし異説もあります。

織田信長の初陣の異説。織田信長の敗北説。

敗北
敗北

足軽仲間の間でささやかれていた噂があります。それは現代の令和の世界にも民間伝承として愛知県 碧南市にのこっている話です。

なんでも、織田信長は実はもっと敵の多くいる【大浜城】まで初陣で進出していたという話です。

異説の中で、織田信長はこの大浜城を攻めるのですが、敵の今川方の武将である長田重元の対策が万全であったため、織田信長の軍が惨敗してしまいました。

敗北した織田兵の亡骸を弔うために、敵将の長田重元は塚を建てます。この塚の総数は亡骸多かったため13にも及びました。

このときに建てられた塚の数【13】にちなんで、十三塚という地名が誕生します。

そして現代の碧南市にも十三塚という地名が伝承しています。

しかしこの説は伝承のみで【文献】が残されていないため信頼しようにも難しい部分があります。

また、実際の十三の塚自体も残っていません。

しかもこの説では交戦したのは【松平】ではなく【今川方】の武将となっています。

また、織田信長の建物への放火が敵に邪魔されなかったことの辻褄があいません。

以上のことから、この異説は完全に否定できないまでも、織田信長が勝利したという方の説を私たち足軽は信じています。

織田信長の初陣に対する父織田信秀の判断

織田信秀
織田信秀

私たち足軽は織田家の当主で織田信長の父である織田信秀の判断を気にしていました。

織田信長は織田家の後継ぎとされていました。しかし彼には優秀な弟の織田信勝がいました。

そのため普段からうつけと呼ばれてた織田信長が、もしも今回の初陣で大失敗をしていたら家督争いで後退してしまう可能性がありました。

しかし父の織田信秀は引き続き嫡男は織田信長であると認めていたことから、織田信長が初陣で見せた能力がある程度認められていたように見えました。

この判断は結果的に正しい判断でした。

初陣の次の戦いで19歳の織田信長はさっそくその実力を人々に見せつけました。

織田信長の初陣は成功であり、その後の戦いでも戦国武将として高い能力を見せ続けます。

ただし、織田信長の初陣の勝利は桶狭間の戦いなどと比べると比較的地味な勝利でした。

織田信長の初陣クイズに挑戦

織田信長の初陣クイズに挑戦してみましょう。

クイズ

織田信長が初陣で向かった土地は?
織田信長が初陣を共にした人物は?
織田信長が初陣を果たした年齢は?
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参考文献。日本大百科全書。世界大百科事典。日本国語大辞典。国史大辞典。日本人名大辞典。日本大百科全書。他、図書館の多数の書籍。

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